何があろうと絶対に避けるべきことの代表でしょう。
 ただ、記事制作時、この国で戦争は起こっていませんが、掲出までの間に勃発している可能性は否定できません。あるいは「紛争」という言葉を使うのかもしれませんし、意地でも「戦争」と表現せずに「武力衝突」をごり押しするかもしれません。
 記事執筆時、朝鮮情勢がピリピリしていて、アメリカと北朝鮮とが一触即発状態ですし、北朝鮮と中国との蜜月も崩壊かと報じられています。とにかく北朝鮮はミサイルをバカスカと打ち上げて、日本を含め国際社会に対して挑発し続けています。そのミサイルが国内に落ちでもしたのなら、日本も黙っていないでしょう。即宣戦布告となるでしょう。
 そうなったら、もう戦争です。
 ただ、メディアがやたらと騒いでいるようなきらいもあって、それで憲法に手を加えるべく土壌を作っているようにも見えてしまう自分がいます。理想のためなら戦争をも利用せんとする神経・・・。
 まあ、この記事が今もこうして掲出されているというのなら、まだ日本は平和だということです。これが日を置かずに、私の手によるもの以外の方法で削除されたとしたら、そういうことです。さて、どうなるでしょうか?(498字)
 いやいや、それよりもまず、東京~大宮間のスピードアップを頼みますよ。

 本音はこれです。

 確かに、上越新幹線は、私にとって身近な路線です。が、頻繁に利用するかというと、ほとんど利用しません。
 所得がもう少しあれならともかく、しょっちゅう利用するには利用料金が高すぎます。運賃はともかく、新幹線特急券が高いのです。
 まあ、近いうちに、2階建てのE4系と、東北新幹線で運用されていたE2系が姿を消すと思うので、最後に乗りたいとは思っていますが。結局、200系は乗りそびれましたからね。たぶん、リニューアルされた後は一度も乗っていなかったと思います。緑帯の頃は、家族旅行で乗ったことがありますが。

 で、話を戻しますが、上越新幹線です。

 私はテレビのニュースで知ったのですが、記事を作りにあたりネットのニュース記事を見たところ、東京~大宮間の速度向上工事も実施しているとのことですが、その時間短縮効果はわずか1分。
 それもそのはず。私の記憶が正しければ、今は東京~大宮は最高速度時速110キロとされていて、それを130キロに引き上げるというものだったはずです。
 …常磐線の特急列車と同じじゃないですか!
 だったら、同区間はかつての特急あさまとかでもよかったのです。…乗り換えがあって不便ですが。でも、単純な走行速度だけ見れば、それでもよかったわけです。
 新幹線としての価値は、やっぱり時速200キロ超じゃないですか。それでこそ新幹線というものです。

 とはいえ、東京~大宮は、沿線に住宅があまたあり、騒音やら何やらでそれができないのが実情です。たとえ、線路的には時速200キロ以上での速度での運転に対応していたとしても。
 そして、沿線の田端駅辺りから東京駅までの区間は、上野駅の地下ホームへと潜っていく都合で勾配があります。また、おそらくは急カーブもあるでしょう。新幹線でこの辺りを利用したことがないので推測ですが。
 となると、実際にスピードアップするとしたら、田端から大宮までの区間となるはずです。
 例えば、かなり大規模な工事になりますが、札幌の地下鉄みたいにシェルターみたいなので完全に覆ってしまえば、時速200キロでの運転も可能かもしれません。費用対効果や、乗っている人にとっては景色が楽しめるかどうかとか、撮り鉄さんからかなりの不興を買うかもですが、新幹線として、それを利用する誘因となる最大の価値観は、高速走行です。それを達成するには、この区間の場合、そこまでしなければならないのです。今のところは。
 そこまでやる必要がなく、しかし騒音や振動についての問題が解決できるのなら、どんどん進めるべきです。時速130キロなんて、在来線でも出せますからね。
 200キロは無理でも、せめて170キロくらいにはしてほしいものです。

 で、上越新幹線ですが、一応、路線的には大宮~新潟が該当して、今はこの区間、最高速度時速240キロで運転されているようです。
 なんと、新しい新幹線なのにスピードが遅いと揶揄されていた北陸新幹線よりも遅いのです。
 昔、一部の列車が時速275キロで運転していましたが、今はしていないようです。
 で、いずれは、今北陸新幹線で運用されているE7系車両に、上越新幹線も統一されるそうで、そのあたりから最高速度時速275キロに引き上げる予定らしいです。それまでに工事を終わらせて、ダイヤ改正を経て…。

 まあ、大宮~高崎も、結構住宅街がありますからね。特に、ニューシャトルと並走する約13キロの区間は。東北新幹線と別れてしばらく先までは、住宅街が多いです。
 で、高崎から長岡あたりまでは、トンネルが多いです。山間部を突き進むわけで、そのあたりはさっさと時速275キロに上げてもいいのでは?と思うのですが…。
 もちろん、地形的な理由で制約を受けているところもあるようですが、そうじゃない、直線の多い区間や、かなり緩やかなカーブの部分なんかは、今からでも275キロにしてもいいのではないかと。
 で、275キロに引き上げることで、時短効果はどれくらいかというと、最大で7分ということで、まあそんなとこかと思う一方で、もうちょっと効果出ない?とも思うのです。
 せめて、最速で1時間丁度で東京~新潟をつなげるくらいに。

 無理か。そうするには時速300キロ以上に引き上げないと…。

 記事によると、大宮~新潟の所要時間が最速で1時間14分ですからね。ノロノロ運転の東京~大宮を加えると、1時間半を超えますからね。
 なら、せめて東京~新潟をぴったり1時間半で結べませんかね?…できるのか!
 再速達列車が7分短縮されたら、大宮~新潟が1時間7分となって、1時間半まで23分あります。23分もあれば、いくら何でも新幹線なら東京~大宮を結べます。なんだったら、上野に止まっても、1時間半で結べるかも。

 そうか。1時間半の壁を破るための工事なのか!

 でも、果たしてそれだけなのでしょうか?

 実は、この時短工事は、羽越新幹線のプロジェクトを始動させるための下準備ではないかと思っているのです。

 羽越新幹線。新潟から山形、秋田へと至る、日本海側を走る新幹線です。沿線人口が減っている中で、意味があるのかと問われると微妙ですが…。
 でも、事業費とか需要供給の観点を除外して、気持ちとしては、新幹線、太平洋側はほぼ日本縦断あるいは横断しています。それこそ、北海道から東北、関東、中京、近畿、中国、九州を、新幹線が走っています。でも日本海側は、直江津から金沢までしかありません。近い将来、少し延びて敦賀までは建設されるはずです。でも、距離的には、やはり太平洋側の新幹線に比べて、日本海側の新幹線は圧倒的に短いです。近畿から西、中国地方は皆無ですし、東北地方は日本海近くまで新幹線が来ているのは秋田だけです。山形は海沿いではありません。
 つまり、新幹線が走っているという点だけ見ると、太平洋側と日本海側とで、大きな差があるのです。不公平なのです。

 今更新幹線を作って何のメリットが?という意見もあります。でも、新幹線が金沢まで延びた結果、今まで行くのが不便だった北陸地方に行こうという人が、以前よりは増えたはずです。経済効果とか、そのあたりのことは分かりませんが、少なくとも、新幹線開業当時は大きな注目を集めたことは確かです。
 その関心をつなぎとめることができるかどうかは、地元自治体の動き次第です。ここで胡坐をかけば、観光客は遠ざかります。そりゃ当然です。
 でも、新幹線ができたことで、やはり人が集まる土壌ができるのです。料金は高いですが、2時間3時間で行けるという利便性はやはり大きいのです。
 となると、例えば北陸新幹線の上越妙高から日本海側に路線を延ばして新潟までつなげて、さらに山形の日本海側を進んでいくか、山形市方面に進んでいって山形新幹線に接続して、新庄から秋田方面に進んで、大曲あたりで秋田新幹線と合流というのでも作れば、ミニ新幹線を延ばす感じになるので大した効果はないかもですが、しかし、日本海側の主要都市を新幹線で結ぶことで、その都市間の移動が活発になり、いろいろな効果が生み出される可能性は否定できません。

 そして、新幹線の建設・開業は、その前段階の需要予測とか、その通りに行かないこともあります。
 建設したいがために予測を甘いものにしている可能性もありますし、かなりきつめの予測をしたためにいざ開業したところかなりの需要があったとか。データに基づく予測など、その気になればどうとでもなるのですから。
 でも、日本海側も均等に発展させるという大きな目的があるのなら、新幹線の建設は外せないと思うのです。高速道路を整備したところで、結局所要時間は在来線の特急とどっこいどっこいか、若干それより速いかな?程度にしかなく、通行料金とガソリン代、そして運転による疲労などを考えると、そんなにいいものではありません。運転が趣味でない限り。

 とまあ、ここまでいろいろ綴ってきましたが、JRと日本が、この先の日本をどのように発展させたいのかによっては、日本海側の新幹線建設の機運が高まる可能性があります。
 日本海側を衰退させてもいいといいのであれば、無理して日本海側に新幹線を作る必要などないわけですし、一方で太平洋側で何かあった時の代替ルートを新幹線でも!というのであれば、作らなければなりません。
 でも、何となく、上越新幹線の速度向上は、その可能性を示唆しているのではないかなと、そう思うのです。

 つまりは、新潟から先への延伸、羽越新幹線建設の機運を高めるという。

 もちろん、JRはそんなこと考えてないかもしれませんし、実は考えているけれどそれを表だって言おうとは思っていないかもしれません。
 でも、あとになって日本海側の新幹線がどうのこうのとなった時に、慌てて上越新幹線を整備するよりは、今のうちから着々と、できるところから整備を進めているのではないかと、そんなことを思ってみたりもするわけです。

 もちろん、フル規格とは限りません。今、新潟駅は、新幹線とその先の特急との乗り換えが便利になっているらしいです。利用したことないのでわかりませんが、そんなニュースというか、JRのプレスリリースがあったかと思います。
 それは、羽越線内をミニ新幹線が走れるようにして、山形からミニ新幹線が新潟に…というのも視野に入れているのでは?ということも見られるわけです。
 で、今は乗り換えしていますが、いずれはE7系と連結して、山形発新潟経由東京行きというのを考えていたりして…。
 羽越線、当然利用したことありませんが(そっちに行く用事が皆無なので)、線路を整備すれば、あとは連続立体交差とかすれば、時速160キロ運転ができたりするかもしれません。トンネルが多いとか、直線が多いとか、いろいろ条件がありますが。
 となると、従来の東北新幹線経由よりも早く東京に着くという可能性もあるのでは?

 …さすがにないか。

 なにしろ、あの辺に行ったことがないので、山形~新潟の距離がわからないので、余計な妄想をしてしまうのです。

 ましてや、ここに来て上越新幹線のスピードアップです。妄想がはかどってしまうのです。

 でも、実際は、東北新幹線ばかりスピードアップが図られて、上越新幹線利用者から不満が出ていて、何とかしろと、そういう意見が出ていただけなのかもしれませんが。そんなことはないか。



参考
・上越新幹線の所要時間を最大7分短縮へ、JR東
   https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190508-10002089-tetsucom-ind
 2019年の大型連休は、天皇陛下の退位(4月30日時点)と新天皇即位、それに伴う元号切り替えがあり、祝賀ムードがメディアによりあおられる中、10連休となったわけですが…。

 皆さま、今回の連休、うれしかったですか?

 そりゃあ、掲出時点・・・いや、執筆が5日なので作っている時点でもそうなのですが、上皇様の生前退位ということで、昭和から平成に変わるときみたいな自粛ムードはなかったわけで、そういう意味では明るいムードであることは確かなのですが。

 でも、ふと思ったのです。メディアの煽り方について、私は疑問を感じたのです。

 元号が平成から令和になったわけですが、これって、おめでたいのですか?

 4月の中頃までは、私もメディアの洗脳(?)もあって、おめでたいことだと疑い持たずに思っていましたが、いざ、元号が変わるときになって、あれ?と思ったのです。

 元号が平成から令和になること自体は、別にめでたいことではないのでは?と

 また、上皇様の退位も、厳密にいえば、おめでたいことではないと思います。

 こう例えると、批判が出るかもしれませんが、会社員に例えるなら、退職を迎えたようなもので、こういう時、めでたいというのは失礼にあたりませんか?
 だって、その人の定年退職を祝うというのは、まるで、「やっと会社から消えたな」みたいな印象を抱かれても仕方ありませんよ?厄介払いができた!みたいな。

 そうじゃないでしょう?

 上皇様の退位については、「お疲れさまでした」と気持ちを込めるように、ねぎらいの言葉や思いを抱くべきであって、決しておめでたいという雰囲気を出すべきではないと思うのです。
 で、新天皇陛下の即位の際に、初めておめでたい雰囲気を出すべきだと思うのです。

 このタイミングが実に微妙で、早すぎてもだめですし、遅すぎると新天皇陛下を認めていないみたいになってしまいます。この絶妙なタイミングで、めでたい雰囲気を作り出すことが、本来なら求められたと思うのです。

 でも、メディアは元号の切り替えのタイミングでお祭り騒ぎで迎える感じで、特番まで組んで…。

 これがせめて、『ゆく年くる年』みたいに、静かな感じというか、重厚というか、高尚というか。まあ、見ている人にとっては、悪く言ってしまえばつまらない感じのものなら、私の中では納得できるのです。
 でも、日付変わった瞬間に「令和を迎えた!おめでとう!」というのは、平成に対してうんざりしていたかのような印象にもとられかねません。
 実際そうだったとしても、でも、あからさまにそういう風にするのは、上皇様に対しても失礼に当たるのではないかと思うのです。

 一応私はこの場では、皇室に対して敬意を払っていますが、それは、私自身、直接的には関係ありませんが、例えば初もうでには参拝していますし、神社については年に数回参拝していますし、あとは、「神社にゴンゴン!」でおなじみの金剛いろはさん(V-Tuber)は神社の巫女さんですから。…まあ、最後のは冗談だとしても、でも、神社に参拝している時点で、皇室と全く無関係とはいえないのです。
 神道における最高位は天皇陛下ですからね。
 それに、神道関係なしに話をしても、国民の象徴という立場であり、あからさまにへりくだる必要はないまでも、少し襟を正すくらいのことはするべきかなと、そう思う次第です。

 私がもう少し若くて、三峯神社への参拝を年に数回の恒例行事にしていなければ、ここまで敬意を払うこともなかったでしょう。
 でも、最初は日帰り入浴目当てであったものの、パワースポットがどうとか、そういうのを抜きにして(そもそも私が行き始めたころには、そんな概念ありませんでした)、通っているうちに顔見知りもできましたし、そういう点では、神社に対して感謝していますし、敬意もあるのです。
 それに、初もうで以外にも、私は今のところ無縁ですが、挙式の際には神社で…という人もいるでしょう。棟上げ式とか、そのほか何かの際には神社で…という人もいるでしょう。
 つまり、神社に足を運ぶ人全員が、間接的に皇族とかかわりがあるのです。熱心な信者でなくても。

 まあ、政教分離とか、いろいろ問題提起もありますが、ここではそこまで厳密な話をするつもりはありません。なぜなら、名目ではそううたっていても、実質的にはつながりがあるというのは、よくあることですし、そういう矛盾はよくあることです。
 で、その矛盾をなくすという建前で、憲法をいじくりまわそうとしている人もいるわけですが、改憲については私はYESでもNOでもなく、やるなら慎重かつ、じっくりと議論をしたうえで行うべきだと思います。もっと言えば、いつもみたいに強行採決でどうにかしようとするなということです。改憲ありきで議論をするのではなく、するかどうかも白紙の状態で、議論をする中で、だんだんとその方向を定めていくような感じにしてほしいのです。
 でも、今の政権は、その点が最大の不安なのです。ゆえに、今は改憲すべきではないと強く思うのです。
 ちゃんと反対意見にも耳を傾けて、賛成派と反対派が何度も話し合いをする場を設けて、徐々にすり合わせをして、全員が納得できるというのはあり得ないので、なるべく多くの人が納得できる形で、進めてほしいのです。
 2020年に改憲するという前提で話し合うのではなく。というか、タイムリミットを設けている時点で、可能な限り強行採決すると断言しているようなものです。だから、今の政権下では改憲してほしくないのです。

 最終的には国民投票で決まるとなっていたかと思いますが、今の政権は、何でもかんでもやりますからね。政権にとって都合のいい情報をまき散らすなどして。
 そういう不安が少しでもある状況下では、改憲議論をしてほしくないのです。
 やるなら、まっさらな状態で。私の中では、それが最低限の、議論開始の条件です。別に政治家ではないので、議論に公に参加するわけではありませんが。


 話を戻します。元々は10連休どう思う?という話でしたね。

 長すぎです。

 そのせいで、所得はダダ下がりですよ、10連休の恩恵を受けて、所得の心配ないのはごく一部の人間だけですよ。
 それに、生活リズムが完全に狂ってしまって、人によっては連休明けには鬱になりそうですよ。
 幸いなのは、私の場合は鬱になるほど仕事が膨大ではないということだけです。ゆえに所得も少ないのですが…。
 で、経済云々のせいで、祝日を無理やり動かして、3連休以上をやたらと作ろうとしましたが、10連休というのはその最たるもので、同時に、やりすぎの事例でもあると思います。

 その結果。

 高速道路各社は、人の動きが分散されて、渋滞はそれほどひどくないだろうと、連休前は予測していましたが、実際はそんなことなく、それほど渋滞が起こらないとしていた日でも、30劼らいの渋滞になっているところが、首都圏においてはちらほらと出ていたようです。
 まあ、そういう車の多くは帰省目的だと思うのですが、一部は遊びに行くパリピでしょう?10連休を謳歌しても所得の心配がないような。

 私?10日中8日は基本家で過ごしてますよ。その8日のうち5日は野良仕事をして筋肉痛になり、あと3日は引きこもりですよ。
 理由?筋肉痛で外出がつらかったのと、単純に金が無いからですよ。連休外で、大きな支出が、4月中にあったほか、5月中にもバイクの修理ということでまたあるのですよ。遊びに行く予算など皆無なのです。ゆえに、家の中で、アイドル部の動画を見るのを基本として、買ったものの読んでいなかった本を読んでましたよ。で、寝落ちして…。
 このうち3日くらいは仕事してもよかったと思いますよ。体がなまるのと、所得の兼ね合いで。

 まあ、カレンダー的には黒い日付も、副業で働いている仕事の方が、黒い日付も休日化して、やっぱり10連休になっていたかもしれませんが。ほかの祝日を移動させるという形で。

 なんにしても、有給休暇のない身としては、大型連休は、今回みたいに過度なものとなると、一種の公害みたいなものです。休めば休むだけ所得が減るのですから。
 それに、メディアなどでは10連休と浮かれた話題を垂れまくっていますが、飲食業や販売店などのサービス業や、交通関係など、ストップしてしまうとダメな業種は休めないわけで、しかもそういう人たちにとってはかえって忙しいわけで、浮かれている場合ではないのです

 こういった仕事に従事する人たちに対して、ねぎらいの意を示すべきではないですか?

 いくらお金払っているのだから当然だとはいえ、そういう人たちが誰もいなくなってしまえば、連休だろうと何だろうと、出かけ先で何もやることがないわけですから。
 遊ぶ人がいれば、受け入れる人もいる。そのつながりがあることに感謝し、ねぎらいましょう。

 この記事を偶然ご覧の、連休中も忙しく働かれた方々、大変お疲れさまでした。

 大変恐縮ですが、私はこの言葉をつづることしかできません。その点だけお許しください。
 今の芸能界、どう思いますか?

 この記事を作っている2017年2月下旬、BSの番組で淡谷のり子とディック・ミネの特集が放送され、それを見ていて思ったのが、今の芸能にはない何かがあるということです。

 たとえば、番組で紹介された淡谷のり子の略歴ですが、子どもの頃は裕福な家庭で育っていたのですが、大火事に巻き込まれ、商売は破たんし、父親は放蕩に出てしまい、母と妹と共に上京し、しかし妹が失明するかもしれないというときに・・・と、波風のある人生だったのですが、その苦労の中で音楽学校を首席で卒業し、のちにブルースの女王となるわけです。ディック・ミネの場合は厳格な家で育ち、立教大学時代に学生バンドを結成し、その後歌手としてデビューして・・・という具合に、芸能の世界に飛び込みましたが、共に人並み外れた才能を持っていて、それを大いに発揮しているように感じました。
 片や、その才能と訓練から「10年に一人のソプラノ」と称されるほどの歌唱力で、片や音楽についてはたくさんの訓練を受けたというよりは、元々人並み外れた才能を持っていて、それを活かしてということで、共に天賦の才をもっていたものの、しかしその才能だけで人々を魅了できるわけではなく、歌声、歌う時のしぐさや表情、存在感が人々を魅了したのだと思います。
 まあ、番組を見ながらの記述なので、自分でも何を伝えたいのか良くわからないのですが、とにかく二人とも、人並み外れた才能、番組で古賀政男が語っていた言葉から引用すれば「タレント性」をもっていたのです。

 番組は2週に分けて放送されるため、この記事を作っている時にはまだ第2週目の内容は知らないのですが、今回の放送だけで、昔の芸能界を引っ張ってきたのは、誰もが持っているわけではない才能と、新たなことへの挑戦心、人目につかぬところの苦労や努力を惜しまなかった人たちだということがわかりました。
 この放送に限らず、私は昔の有名人を取り上げた番組をいくつか見てきましたが、誰もが何かしらの大きな才能を持っていて、それに磨きをかけてきていたのです。
 たとえば、植木等さん。私が知っているのは「スーダラ節」を陽気に歌う姿と、物まね番組だったか隠し芸番組だったかの審査員としての姿、あとはクレイジーキャッツとして活躍していた頃の映画俳優としての姿くらいでしたが、元々は声楽家としてのものだったでしょうか、そのあたりの記憶はあいまいですが、歌の訓練を大学時代に受けてきたということが番組で紹介されていたのは覚えています。つまり、陽気に歌って見ている人たちを楽しませる姿の裏には、本格的な歌唱をするための努力を過去にしてきたのです。それが垣間見えるのは、「スーダラ伝説」という、平成に入ったあたりに出された植木さんのCDアルバムです。あの「スーダラ節」などのコミカルな歌からは想像できない真面目な歌声は、過去の努力を物語っているのだと、あとになって知りました。
 他にも、80年代に登場し、その時に不動の人気を物にして、今もなお芸能界に君臨し続ける大物芸人たちも、人並み外れた才能を持っていたり、むさぼるようにありとあらゆるものを吸収する努力をしてきたりしていました。

 で、今の芸能界ですが、一人ひとりについてじっくり観察しているわけではないので、マクロな視点からしか私の印象は綴れませんが、お笑いにしてもアイドルにしても、芸能全体がアマチュア化してきているような気がします。
 たとえば歌。今、最もCDが売れている歌、ダウンロードされている歌は、別に聞きたくなくても勝手にテレビなどで流れるので、私もある程度聞いたことがありますが、ほとんどについて、私は積極的に聞きたいとは思えません。
 具体的な名前は出しませんが、ただ、素人然とした歌い方や、ちょっと気取ったような歌い方の楽曲が人気を博しているように思います。でもそれって、その気になればプロじゃない人たちでも簡単にまね出来てしまいます。「のど自慢」を見ると、合格の鐘を鳴らす楽曲は大体決まっていますし、元々歌っている人の歌声を真似出来ている人だって見受けられます。
 つまり、そこまで訓練を要さずとも、誰もが歌えてしまう楽曲ばかりなのです。

 多分、素人をたくさん集めて、その中でふるいにかけることで選抜して、最後まで残った人たちばかりが、今の歌謡界、POPの方がいいですかね、その世界で活躍しているからだと思うのです。
 つまり、その人の才能を大きく引き出すような楽曲ではなく、誰もが歌えるような、そういう定型化された歌ばかりになってしまっているのです。
 歌詞だって、愛してるだの好きだの何だのと、お決まりのフレーズを並べたようなものばかりです。逆にいえば、それだけ覚えやすくなっているのかもしれません。他の歌でもそのフレーズを使えるわけですから。

 でも、そんなのばかり見て、楽しいですか?

 お笑いだってそうです。学園祭で素人の学生がやるような、ありきたりな設定のコントばかりですし、リズムネタなどその最たるものでしょう。未だに、私はなぜあのお笑いコンビがここまで人気があるのか不思議でなりません。
 個人的には、ネタ見せ番組に出ていた頃の陣内智則さんのネタは画期的で面白かったです。舞台に大型のモニターを用意して、それを使ったネタとか、あらかじめ用意された音に合わせたネタなどは、当時としてはあまり見たことのなかったタイプのものでした。もちろん、それはドリフなどのコント番組ではおなじみでしたが、ネタ見せ番組で芸人が披露するネタとしては、見たことが無かったのです。漫才やコントばかりの中、映像や音を使ったものは、新鮮でした。
 で、今だと一体どういう新たな試みが出てくるのか?
 素人の私には想像できませんが、でもそれを見つけた人は、一躍有名且つ人気者になると思います。
 新たな試みで人気を博した人、たくさんいますから。例を挙げれば、お笑いならコント55号、ツービート、やすきよ、コロッケといった面々がすぐに思い浮かびます。

 一方で、お笑いのネタにしても、流行りの歌にしても、ちょっと練習すれば素人でもまね出来てしまうものばかりです。
 プロの集まりだった芸能界に素人が飛び込むというのは、数十年前なら確かに画期的でした。そして、そこから芸能の世界に飛び込み、今もなお第一線で活躍する人たちもいます。
 ですが、その流れが主流になり、芸能の世界へのハードルがすごく低くなってしまったような気がします。そして、それを見る人たちも、現状に満足してしまっていて、何と言うか、現状に甘んじていればいいという、そんな雰囲気が漂っているような気がするのです。

 私は、昔の映像を見るのが好きです。私が生まれる前の芸能の世界や、物ごころつく前のテレビ番組を見るのは、興味深く、それでいて、面白いからです。
 テレビが登場して60年以上経ちました。普通に考えれば、テレビを通じての芸能の世界も60年という時の間に成熟し、もっと面白い番組がたくさんあってもおかしくないのですが、成熟すると、その後は腐るだけなのでしょうか、少なくとも今の私には今放送されている番組の中で、面白いと思えるものは、だいぶ少ないです。
 そんな中で、面白いと思えるものは、すごく作りこまれたドラマ、ルールに厳格な旅番組、教養が身に着くような番組です。共通しているのは、番組作りにおいて妥協していないという点です。少なくとも、見ている私からは、手を抜いているような感じは見受けられないのです。

 で、思ったのです。これからは、そういった番組に出てくる芸能人も、よほどの才能の持ち主か、あるいはその才能はなくても何かにものすごく打ちこんで、他にわき目もふらずに集中して、達人の域に達した人が、人気を博するのではないかと。
 つまりは、かつての芸能界のように、何かに秀でた人達が再び活躍するのではないかと思うのです。
 一般社会ではのけ者にされてきた人が、ある分野についてはものすごい能力を発揮して、それがたまたま歌であったり、お笑いであったり、技巧であったりすれば、波風はあると思いますが、一躍有名になり、そして長く活躍できるのではないかと思うのです。
 たとえば、歌ならば、演歌歌手としての訓練をものすごく受けて、演歌の歌唱については右に出る者はいないという人や、民謡の世界では知らない人はいないというような人が、新たな歌の形を見出して見るという具合です。ごく最近にテレビで目の当たりにしたのは、山形弁でアニメソングを歌っていた女性です。民謡を小さい頃から歌い続けていて、コンクールでも優勝するほどの実力の持ち主で、アニソンを歌う時もその民謡の歌い方を取り入れて、しかもそれを山形弁で歌うのです。
 お笑いなら、さまざまな形のものを訓練するのです、落語、演技、歌唱、ダンス、とにかく思いつく限りのありとあらゆるものを身につけて、それを活かしたネタを構築するのです。新たな形にならなかったとしても、過去に存在した形とかぶるのなら、それの再来という具合に喜ばれるでしょう。それが数年前のレベルならパクリ疑惑になってしまいますが、数十年前の物ならば、多くの人は見たことが無いかもしれないので、かえって新鮮に見えるかもしれません。

 努力のたまもの、天性の才能、プロだからこそ発揮される魅力は、スポーツの分野で証明されているでしょう。
 イチロー選手のプレーとか、オリンピックなどの世界的な大会での競技は人々を魅了するでしょう。それは、その競技に絶え間ない努力をもって打ち込んできて、才能を限界まで伸ばした末のプレーだからこそ、私のように世間一般の感覚と少しずれた人でさえも、つい夢中になって見てしまうのです。あんなにオリンピックに興味ないなとか言っておきながら・・・。

 つまりは、努力に努力を重ねた先にある本物こそが、この先の芸能の世界には残っていくのだと思うのです。
 そしてそれは、誰もができるようなものにはなりえず、その人だからこそ光る何かが残るのだと思うのです。
 テンプレート化された歌やネタは、すぐに飽きられます。少なくとも私はそう思います。
 でも、一から作られた何かと、まるでそれを披露するために生まれてきたのではないかと思うような、そんな人とが出会えば、あるいは・・・。
 そして、そういう物が、この先も長く、愛され続けるのだと思います。淡谷のり子やディック・ミネのように。他にも、美空ひばりや三船敏郎、そのほかたくさんの先人たちのように。
 中途半端に他分野に手を出して、そこそこ売れて満足している程度が人気を博しているようでは、芸能の未来は暗いです。他分野に手を出すなら、今までやってきたことすべてを捨てる覚悟でやらなければ、今後の芸能の世界を見る人たちは満足しないでしょう。
 逆に、驚くほどの才能の持ち主であったり、その分野については他の誰よりも負けないくらいに努力した末に披露した物については、たとえその人が素人であっても、たとえその披露した場所がネットの動画であっても、芸能の世界が放っては置かないでしょう。そういう人は、芸能関係の養成所上がりの人にはなかなかいないタイプでしょうから。

 場末のブログに記事を出している素人風情が何を語ってるのかと思われるかもしれません。確かにそうです。
 ですが、いかりや長介さんの父親じゃないですが、確かに私は芸能人ではありませんから、その分野では玄人ではありません。ですが、私も三十路で、物ごころついてから今まで、さまざまなテレビ番組を見てきたのです。つまりは、視聴者歴30年近くなのです。視聴者なりの分析や考えはそれなりに持っているのです。
 まあ、私の願望通りになることでこの先芸能の世界が安泰になるかどうかまでは責任取れませんが、ただ、今までのように、中途半端な番組や、中途半端なタレントが第一線で活躍するような状況が続くのなら、この先、テレビや芸能の世界への関心はさらに薄くなると思います。

 何かを変えなければならない、テレビも芸能も、その時を迎えていると私は考えます。
 私も三十路なので、こういうテーマだと小さい頃に見ていた作品を挙げると思うでしょう?残念でした!そんなに古くありません。
 ただ、どれか一つとなると、なかなか決めかねるのです。何しろ、毎年、何かしら「面白い!」と思える作品が出てくるので。
 たぶん、学生時代よりも今のほうが見ていますよ、アニメ。
 きっかけは、やっぱりブックオフです。やたらと店に通っていた頃があって、とにかく本を買い漁っていたのです。そこから、アニメに関心が波及して、最近はアニメからマンガに流れることの方が多いです。続きが気になるとか、原作ではどんな展開をしているのかとか。
 そうしているうちに、3カ月ごとに見る番組は変わりますが、大体1つか2つは面白い作品があるのです。
 今の小説や漫画は、アニメでこそ表現がしっくりくるけれど、実写ドラマだと違和感あふれているというのが、私の持論です。リアルだと不自然でも、アニメだとギャグになりますから。
 で、テーマの「好きなアニメ」ですが、ご想像にお任せします・・・。その時々で変わるからです。記事制作時と掲出時で違っていると思いますし。(465字)