一昨日、サポート先の高校野球部の新チームとしての初めてのセッションだった。
他のチームもそうなのだが、新チームの最初は座学からスタートした。
2年生も、昨年はやらなかったので、私の座学を受けるのは初めて。
ほとんどの選手は、楽しそうに聞いてくれていた。ただ、1人の選手は、ほとんど机に突っ伏して寝ていた。
1時間ほどの座学が終わり、体育館を借りてトレーニングを行った。
座学でも話したモビリティからまずはやり、体幹、上肢、下肢と自体重とメディスンボールを利用してのトレーニングを進めていた。
ところが、先ほどの座学で、思いきり寝ていた選手は、あからさまにトレーニングを真剣にやろうとしない。それでも、私は、何も注意せずにセッションをしていた。
しかし、彼の傍若無人ぶりはエスカレートするばかりなので、「もういいよ、やる気ないなら、やめていいよ」
と彼に近づき言った。
「いや、やめないです」
「だって、このままだとお前はいいけど、周りの選手に迷惑がかかるから、やめて、いいよ、お前だってやりたくないんだろ」
「でも、やめたら明日の試合投げられないんで」
「そんなこと俺は知らないよ」
結局、彼はそのまま最後までトレーニングに参加する。
最後皆んなが集まったところで、私は皆んなの前で言う。
「皆んなさ、今日のトレーニングを振り返って欲しいんだけど、自分にフォーカスして、どう、やり切れた? 〇〇、お前はどう?」
「いや、やったと思います」
「ウソつけ、お前はもっとやれること知っているよ。まあ、でも、〇〇の今日のトレーニングの取り組みは悪かったけど、他の皆んなはどう?
もし、俺が皆んなと同じ選手だったら〇〇と喧嘩してるよ。だって勝ちたいから。
1人だけ頑張っても勝てないよな。」
そんな説教じみたことを話した後、再び個別で〇〇と話す。
「正直、お前がトレーニング嫌いなのは、それは構わないけど、今日みたいな態度なら、皆んなと一緒にやらせないよ」
「それはダメです。そうしたら試合で投げさせてもらえないので」
聞けば、彼はやはりトレーニングは全くやる気がないのだと、でも試合には出たいと。
もちろん、私は彼を試合に出場させるかどうか決める権限はない。それを決めるのは先生方。
それでも、ほとんど私の説教は続く。1人の同期の選手は、ずっとそばにいて、私と彼のやり取りを聞いている。
時々「お前が一生懸命やったら、もっと凄くなるのに」と彼に伝える。
いろんなことを話したが、正直、彼には全く響いていないと思うが、最後に握手をして別れた。
監督ではない顧問の先生の1人は、ずっと今日のトレーニングを見守ってくれていた。
終わり次第、「すみません」と。
「アイツは授業中でも、ずっとあんな感じなんですけど、先生方も構ってくれてないんです。こうして言ってもらえることないんです」
「いやー、ほんとに久しぶりにやる気ないならなやらなくていいよって言ってしまいました。本当に難しいですね」
「でも、彼は野球はやりたいみたいですね。そこが救いですね」
トレーニングが終わり、自宅に帰る時も、そして家に帰ってからも、ずっと今日の彼への、あるいはチームへの、私の言動がよかったのか、どうか考える。
もっと早く注意すべきだったのではないか。とか、あるいは、いやいや、もっと言い方があったんではないかとか。
んー、学生指導25年目になるけど、本当に難しいし、自分の指導力の無さに呆れるぜよ。
そして、こういう時に、どう対応すればいいのかっていう答えは、誰も教えてくれないのだ。
自分の、これまでの生き様が、今日の対応になったのだ。
決して、私が彼より偉いわけではない。
が、彼の今後の人生を考えても、彼がこのままでいいとは思わない。
でも、それは、私が勝手に思っていることなのだ。
んー、やっぱり「やる気がないないやらなくていいよ」って言葉を言った時、その後味は、ほんとに最悪なのである。