久しぶりにシリーズ第8弾をお届けします。過去4回利用してきました「昭和超人奇人カタログ」(香都有穂 ライブ出版)から、今回は3人をご紹介します。世に奇人、変人のタネは尽きませんので、有難いです。どうぞお気楽に最後までお付き合いください。
★古今亭志ん生(1890-1973年)落語家★
戦後、桂文楽とともに、名人として落語界に君臨しました。この人物の生涯を語るのに欠かせないのが、「貧乏」と「酒」です。
「朝太」から始まって、最終的に「志ん生」に落ち着くまで、16回も改名しています。貧乏暮らしと縁を切るためゲンかつぎ、とも、借金取りの目を誤魔化すため、とも伝えられています。
昭和5年、本所業平町の長屋が全部空いていて、家賃はタダでいいから入ってほしい、との話が舞い込んできました。喜んで引っ越してみると、畳の上の壁1メートルほどのところに、横に線が引いてあります。ここは低湿地帯で、ちょっと雨が降ると床上浸水になり、、おまけに家中、ナメクジだらけ。毎朝、バケツ1杯ほど捨ててから、やっと朝食という生活が続きました。
酒好きのエピソードにも事欠きません。関東大震災で、グラグラッときた時、師匠の頭にひらめいたのは、「いけねえ、東京中の酒が全部、地下に吸い込まれてしまう」(同書から)ということ。なけなしの2円をわし掴みにして、近所の酒屋に駆け込みました。酒屋もそれどころではありませんから「勝手に飲んでくれ」と言われ、その場で2升飲み、もう1本ぶらさげて帰ってきたといいます。さすがの大人しいカミさんがカンカンに怒ったのも無理からぬ話。
落語的エピソードに彩られた一生でした。
★サトウ・ハチロー(佐藤八郎)(1903-1973年)詩人★
大正時代の作家・佐藤紅緑の長男として生まれ、20歳以上年下の佐藤愛子も作家という一家です。終戦直後のヒット曲「リンゴの歌」の作詞で知られ、団塊世代には、詩集「おかあさん」から、ほのぼのとした作品を流すテレビ番組が懐かしいです。そんな晩年の姿とは裏腹に、凄まじい不良少年ぶりが本書で語られます。
とにかく手がつけられない不良だったようで、転校11回、落第3回、父親から勘当されること10回に及びました。朝、父親から勘当を申し渡され、荷物をまとめているうちに小便がしたくなり、庭でジャージャーやっていると、それを2階から見つけた父親からその日2度目の「勘当だっ!」。朝に勘当したのを忘れていたんですね。
常軌を逸したワルぶりで、旧東京市内にあった30数カ所の警察署のうち、鳥居坂署と日本堤署の留置場以外はすべて入っています。
鳥居坂署が新築されたとき、留置場が西洋式だというので、そこへ入るべく管内で事件を起こしました。でも捕まえた巡査は神楽坂署員で、そこの署へ連行されました。「鳥居坂署に入りたいんだ」とゴネましたが、当然ながら、希望は適いませんでした。
もう少し大きくなってからは、ニセ学生として、東京芸術学校(現・東京芸大)に通っては、絵描きのタマゴやモデルと遊んでいたといいます。東大の学生を装って、新入生に、謄写版刷りの本を売りつけたりしていました。不良ぶりはだいぶ収まって、商才を発揮していたのです。
★檀一雄(だん・かずお)(1912-1976年)作家★
無頼派の代表的な作家です。奔放な女性遍歴で知られますが、生涯、突然放浪するというクセが治りませんでした。若い頃の大晦日、床屋でふと京都の祇園に行きたくなり、家族にも告げず、ドテラのまま、行ってしまったことがあります。
歳をとって、家族にもある程度告げるようになりました。ポルトガルへ行った時のことです。「ちょっとヨーロッパへ行く」と奥さんに知らせました。「どのくらいですか?」「3ヶ月か半年かな」結局、1年半も帰ってきませんでした。豪快な放浪癖です。
3人3様の奇人ぶりをお楽しみいただけましたか?今回のネタ本による記事は、ひとまず打ち切りとし、新しいネタ元が見つかれば、続編をお届けするつもりです。それでは次回をお楽しみに。
(追記:過去記事は、私の「記事一覧」ページ上部の検索窓から「奇人列伝」でご覧いただけます。)