芦坊 NO.697 ユーモアを正しく使う文章術
根がマジメな性格なので、ブログの文章も硬めのものになり勝ちです。そこで、ユーモアのある表現などを「ほどほどに」入れて、柔らかい雰囲気にするよう心がけています。 「日本語の作文技術」(本多勝一 朝日文庫)の「自分が笑ってはいけない」との章では、ユーモアをどう使うべきかが具体的に説かれています。目からウロコ、大いに啓発されました。さっそくご紹介します。どうぞ最後までお気楽にお付き合いください。★章の冒頭で、引き合いに出される文章の実例です(少し長めです。ご辛抱下さい)。<(前略)八月三日の夜行、京都発富山行きの急行立山3号に乗ったときのことです。満員で座席などとれないことは承知の上で。けれど通路ぐらいは、と思っていたのです。ところがムッ、ムッ。ジローッ周囲を見回すと山男の群れ。しかたなく立って眠る?ことにしました。毎日アクビの出るクセは、その夜は一層ひどくて五分ごとにアクビが出て、疲れて眠くても、とても眠れそうにありませんでした。そこで私は、カカトの高いピンクのサンダルを脱いだり履いたり。これを見ていた一人の優しい優しい山男が、私のアクビと足にたまりかねて席を譲ってくださったのです。図々しくも「スミマセン」と席を代わってもらうや否やグーッと眠り込んでしまったのです。鼻ちょうちんぶら下げて、席を譲って下さったお方をチラリチラリと見ながら・・・。ああ、なんと山男とは親切なるぞ。でもほほがこけて細い人。あんな狭い所に何度も寝返りしながら、つらそうにお眠り遊ばしてz z z。(後略)>(「山と渓谷」(1974年二月号) 24歳の女性からの投書とのこと。「なんとかおもしろく書こうという気持ちがそのまま表面に出て、読む側には少しもおもしろくないものになってしまった」(同書から)というのが著者の評です。そして、その理由を、落語を例に説明します。★落語では、「おかしい」場面、つまり聞き手が笑う場面であるほど、落語家は真剣に、真面目に演じなければならない、落語家自身は絶対に笑ってはいけない、と著者は説きます。それで私が思い出すのは、柳家小三治師匠です。 とにかく怒ったような真剣な顔で語られる若旦那や大家の言い草、とんでもない状況説明などに笑い転げたものです。演者の真面目な顔と、語られる「おもしろい」中味のギャップが笑いを産んでいたのだ、と今にして気づきました。 今時のバラエティの世界では、「まあ聞いてください・・それが大笑い・・」などと前フリの時点から本人が大笑いし、中には、手まで打ってる芸人さんがいます。そんなのに限って、おもしろくないのが多い経験からも、著者の説明に大いに納得できました。★さて、例文のどこが「自分で笑って」いるかを著者は検証します。まず、書き手自身が笑うあまりに、素材をゆがめてしまっているとの指摘です。5分ごとに正確にアクビが出るはずはありません。「眠りこんでしまった」といいながら、「チラリチラリと見ながら」はありえないとも。そして「鼻ちょうちん」とくれば、ウケ狙いのウソが見えます。 「ムッ、ムッ」、「ジローッ」、「グーッ」、「チラリチラリ」とか「zzz」などの軽薄な擬音・擬態語についても、無理に文章を笑わせている、と著者の指摘は厳しいです。 さらには、「優しい優しい」、「図々しくも」、「親切なるぞ」、「おねむり遊ばして」などの表現も書き手自身がいい気になって笑っている、と一刀両断です。★一つ一つの指摘に説得力があります。「やり過ぎはダメッ」の一言に集約できる教訓を、私なりに整理すれば、次の3点になるでしょうか。 1.面白さは、あくまで具体的(でウソのない)中身で勝負。 2.,品位を大切にし、ウケ狙いの卑しい表現で無理な笑いを取りにいかない。 3.適切なユーモア表現を、節度を守って使う。 いかがでしたか?ブログをお書きの皆様のご参考になれば幸いです。私は、これからも自分で決めたルールを守って、「愉しくて、へぇ~な」ブログをお届けする決意を新たにしました。引き続きご愛読ください。それでは次回をお楽しみに。