久しぶりの更新です( ◠‿◠ )
皆さんこんにちは!
令和6年は始まりましたが、学校や経済関係は会期末、または令和5年度の年度末です。
3月は卒業や人事異動などで「別れ」の月ですね。
そして4月。
期待と不安の4月は、新たな出会い、新しい世界に立つなど出発、スタートの時でもあります。
幼稚園、保育園に入園する子は、初めて親と離れ、自宅以外の場所で、初めて出会う、同級生や上級生、そして「先生」という地位の「大人」と自宅以外の建物の中で生活が始まります。
小学校に入学する子は、やはり、自分の卒園した、幼稚園、保育園での同級生以外の初めて出会う新しい同級生や先生と生活を共にしながら新しいスタートを切ります。
中学生も高校生も、そして大学生、新社会人も皆、同じですね。
進級、進学、昇進…それぞれ上級生、管理職など出世や学年が上がっていきます。
皆、それぞれの立場で努力し、頑張り、その結果が「認められ」そういう立場になっていったと思います。
それは、素晴らしい事だと思うし、立派な事だとも思う。
ただ、そうやって地位を確立していくと、忘れ去られてしまう事があります。
勿論、それに全員が該当するとは言いません。
「忘れ去られてしまう事」
何だと思いますか?
色々な事があるけど、私は「感謝する心」と「謝る心」を挙げます。
出世や進学、希望の職種に進むことが出来た事は、当人の努力、頑張りがあったことは「当然」の事。
でも、それを、そうなれるように支えてくれた人が「必ず」いるはず。
そういう人たちに、心から「感謝」しましたか?できましたか?
上級生、上級職になると下級生や部下たちに「感謝」することを忘れてしまうようで…
最近では「政治家」を見れば何となくわかると思います。
「やってやったんだ!」
「(部下がやるのが)当たり前だ!」
そういう態度が見え隠れしてませんか?
自らの失敗を部下や下級生に負わせ、𠮟責ばかりしてませんか?
八つ当たりとかしてませんか?
両親や祖父母、先生など身近な人たちから、それは幼いころから、「親切にしてもらったらお礼を言いましょう」とか、助けてもらったら「感謝の言葉を言いましょう」と言われた事覚えていますか?
「上」に立つとそういう大切な「人との関り」のなかで「大切な事を「忘れ去られて」しまう人、結構『多い』んですね。
私は、それを「奢り、昂ぶり」と考えます。
この「奢り、昂ぶり」はやがて「怠慢、傲慢」という「態度や言葉」となって現実の世界にその姿を現してきます。
ある教育研究家は「人間てのは褒めて延ばす」褒められればうれしいので、頑張ろうという前向きの気持ちになる。即ち高いモチベーションが得られ物事に前向きに取り組めるようになる。「叱られてばかりじゃ、萎縮しやがてあなた自身から離れていく事になる」と指摘します。
相手の事を思い、それは下心なしの真心からしてくれた、それは受け手からすれば、とても些細な事、くだらない事程度の事案だったとしても、「感謝する事」を忘れないで欲しい。
子供向けの本だったか、何かの本に「ありがとう」は魔法の言葉という一節がありました。
間違いをしたなら、「心から謝ろう」そうすれば、誰かがあなたを助けてくれるでしょうともあったっけ。
「ありがとう」は本当に魔法の言葉。
ひらがなでたった「5文字」の言葉
これを親切にしてくれた人に伝えると、その人も嬉しいし、認めてもらえたという、承認欲求が満たされ、モチベーションも上がり、もしかしたら新しい事へチャレンジするチャンスを(あなたが)与えたかもしれません。
親切を受けて嫌な気持ちになる人は稀。
大概は、「感謝する」はず。「嬉しい気持ちになる」はず。
でも、いざ「上」に立つとそれが出来ない(忘れてしまってる)
これじゃ、快適なコミュニケーションも築けず、「次」がない。
悲しい事です。残念な事です。
人間てのは「完璧じゃない」。もしそんな人がいるなら会ってみたいものだ。
失敗した時、心から「謝る事」出来ていますか?
失敗に気づいた時、自ら素直に「謝れて」いますか?
「上」に立つ人ってのは「それ」が出来ない。
情けない。
他人から指摘されて「謝れ!」と言われてから行動するってのは、あまり好ましくないと私は思います。
勿論、間違いに気づかず指摘される事もあるだろう。
けど、大体、そういう時ってのは、間違いや失敗した事にうすうす気づいている事が多い。
謝る事は「カッコ悪い」という、思い込みが、事をさらに悪化させることを知っておいて欲しい。
失敗や間違いは、確かにカッコ悪い。けど、やってしまった事は素直に認めなきゃ「もっと」カッコ悪い。
間違いや失敗に気づいた瞬間、すぐに「ごめんなさい」「もうしわけありません」と行動しよう。いや、すべきだ。
あーだ、こーだと「言い訳」や「責任転嫁」なんか目論んでいると、まず「ロクな答えが出てこない」当然、結果だって「悪い」┐(´д`)┌ヤレヤレ
因みに、「もうしわけありません」て言葉は
(起きた事柄に対し)「申し開きする理由(言葉)が見当たりません」という事らしい。即ち、「ごめんなさい」と同じと言っても過言じゃない。
「ごめんなさい」は漢字で表記すると「御免なさい」となる。「御免ください」って言葉は、他人の家を訪問するときに使う言葉だけど、どこか、似ている。
因みに、「免許証」は許し免れる証と書く。(配置は逆になるけど)
つまり、自動車など危険な道具を使うために(必要な知識を学んだので)「使ってもよい」と。本来は使っちゃダメだけど、それを免れ、許された証(証明)を指すんだね。
だから「免許証」(笑)
脱線したけど、「御免なさい」免れなさい=許してくださいを丁寧にした言葉なんだと思う。
「御免ください」もこれに当てはめるなら、訪問をいたします事をお許しくださいとなります。
「上」に立つってのは「上級生」になるってのは「下」に位地する者のお手本、見本とならねばならないし出来なくても努めなきゃいけない「立場」だ。
だって、それだけ頑張って努力して掴んだ地位なんだもの。
たった一人だろうが、沢山の部下がいようが、そういう人たちが「あなたを中心」にして支え、支えられて「仕事」が出来ている事、忘れないで欲しいし、思い出して欲しい。
上級生も「しかり」だ。
質の良い仕事、充実した生活をしたかったら、感謝する事、謝る事を例え、些細な事だとしてもすべきだと思う。
人は皆、一人では生きていけない者だから・・・