仕事などで、色々な問題を抱えたり、悩み事が山積すると、自分らしさや、本当にやりたかった事、やりたい事が出来なくなったり億劫になったりと、前進する意欲がなくなります。

そんなことを知ってか知らずか、温かいメッセージや、励ましのお言葉をお寄せいただき、ありがとうございます。

 

人は、無意識に、支えたり支えあったりしながら毎日を過ごしている事、生活が出来ている事に気付かずに、それが当たり前の事だと思っているのではないかと思います。

元気な時は誰かを支え、そうでない時には誰かに支えられ、少しずつまた自分らしい生活に戻れるように仕組まれているのかもしれません。

 

29年前の今日1/17 5時46分。

兵庫県淡路島周辺を震源地とする「阪神淡路大震災」が発生しました。

今日は、仕事が早めに終わり、TVニュースを見る事が出来ました。

今年の慰霊の灯は「ともに」と形作られたものでしたね。

 

元旦早々から、北陸で大地震が発生し、半島全体の面積からすれば大変多くの命が奪われ、東日本大震災を経験した一人として、心痛の思いが募ります。

家族全員を失い天涯孤独になった方。

母親と息子が家屋の下敷きになり、それでも救助が来るまで必死で生存を訴え続け、父親が発見し手を握ったら、安心したのかそこで命を終えた息子。傍らには母親が息絶えていたとか。嗚咽しながら語る父親の思いを推し量ると胸が詰まります。

 

新潟中越地震以来、全国各地で大地震に見舞われる日本。

改めて、国土が不安定な場所に位置する事を痛感します。

温泉文化がある日本は、火山大国でもありますね。

温泉やそれに付随する楽しみは、何事もなければ、素晴らしいものであり、地球がくれた贈り物でもあります。

 

ただ、一旦、地球が牙をむけばすべてが地獄と化してしまいます。

便利さばかり快適さばかりを追求しすぎると、その利便性から、人と人の繋がりが希薄になり、「自分さえ良ければ(快適であれば)」他はどうでもいい(無関心)になっていってしまうのは、人の欲のなせる業だからでしょうか?

実際、今回の震災でも、不便さが人と人の繋がりの大切さを教えてくれているように見えます。

協力し合い、共に生きる事。

人が人らしく生きるってのは、こういうことなのかもしれない。

 

TVニュースでは、今日、北陸の中学生や上級学生らは、白山市のほうへ集団避難をしたそうな。

故郷から遠く離れた地へ。

見送る親たち

我が子への思いやりと気遣いの言葉

恥ずかしいのか、無言でバスに乗る子、寄宿生活にでも行くかのように元気よく返事する子。

去年まで小学生だった子は幼い顔(面影が残る)で不安そうな顔してバスに乗り、およそ2か月、親と離れて生活を始める。

2か月後、元気に「成長して」故郷、親元へ帰ってこれるように祈ってやまない。

故郷を離れず、頑張る子もいる。

故郷復興の為、故郷を守るために、両親らとともにどうか無事で頑張ってほしい。

 

あれから29年。

今回の震災に活かされた事はあるのか?

当時、被災されて生き残った人たちは、後世に役立ててほしい、活かして欲しいと語っていた言葉が、どれほど伝わり、活かされているのか?

今後の復興活動を通して見守っていきたいと思う。