「ありがとう」
言葉で言うのは簡単だ。
形式上ではサラッと言える
挨拶みたいなものだから。
メリットなんてどうでもいい、
心から、「ありがとう」って
湧き出る気持ちで感謝したい。
ひねくれ者か、頭が悪いのか、
長期戦のテーマで格闘してた
やっと光が差し込んだ。
「ありがとう」ってすかさず感謝は
金品もらった時だよね。
その一瞬でテンション上がる⤴︎
欲する物ならますます上がる⤴︎
あの嬉しさはなんなのだろう。
お金の魔力は素晴らしい。
支払う時には
お金に「ありがとう」って呟こう。
商品と見えない作った相手に、
電気、水道、スマホに弁当
自分ではできないんだから
あらゆるものに「感謝、感謝」
そんなフレーズ聞き飽きた。
私はひねくれ者だから、
何かが足りない気がしてた。
さっきまで、ここに居たのにお金さん
エールを送ってサヨナラなんて
レシートの旗をふりふり見送って
感謝どころか哀愁漂う。
請求書と言う名のラッピングに包まれ
もらったお金は遠くへ旅立つ。
感謝に拘り凍える私に
ある日、「気づき」のギフトが届いた。
あれ?この毛布、私が買ったやつだよね。
お金と交換したこの毛布。
私の冷える身体を包見込み
「なんてあったかぁ〜い、ありがたいなぁ〜」
そんな気がした。
お腹が空いてコンビニで買ったおにぎり食べる。
「味覚とお腹が満たされて、なんかありがたし」
そんな気がした。
コーヒー飲みたくて自販機で買う。
「ゴクゴク飲んでコーヒー味、満足、満足」
そんな気がした。
そうか、わかった、これだったんだ。
これが湧き出す「感謝の感覚」
お金で交換した物は、
自分の体感覚を満たしてくれる。
お金をもらうと視覚で喜ぶ。新札ふわっとかぐわしい。
洋服、肌着、靴下は身体を包んで守ってくれる。
靴だって地面から足を大事に守ってくれる。
電気がつくから夜でも見える。
住居があるから全身安心感でゴロゴロできる。
家中どれもお金で買った。
お金を払って得た物は
当たり前にそこにあるけど
実は体感五感を満たしていたよ。
当たり前に来ているパジャマも
元はと言えば買った物。
お札、小銭は着れないけれど、
私の身体の大きさに変身してくれたのね。
パジャマの着心地味わって
なんだかとっても心地良い。
色褪せさえも愛おしい。
今年で何年経ったかな、
じゅうぶん元は取れている。
ひとつひとつ体感感じて
毛布、洋服、バスタオル、
何かに包まれ温かく安心するのは
赤ちゃんの頃に抱っこされた
身体の記憶ではなかろうか。
母親、父親、祖父母か誰かに
抱かれて温かさを感じながら
部屋にある物をただ見つめ
外にある物をただ見つめ
意識の中では覚えてないけど
体感五感は記憶している。
お金の不足は不安をあおる。
懐が寒いと言うけれど、
赤ちゃんを放置してると泣き出すよね。
まさに寒さを感じる状態。
お金があると余裕と安心だよね。
懐が温かいと言うけれど、
赤ちゃんを抱いてあげると
脱力級に身体を委ねる。
まさに、余裕で温かい状態なんだ。
感謝の視点のニュアンスは人それぞれにあるけれど
お金、人物への感謝の前に
もらった、買った、手にしたものを
まずは体感五感で感じてみる。
自分をどれだけ包んでいるのか、
どんな機能で守ってくれるか、
どんな形で喜ばせてくれるか、
どんな音で、どんな香りで、どんな味で
どんな風に体内や身体を満たしてくれるのか。
直感的に感じてみよう。
自分を取り囲むものひとつひとつに
体感五感で感じてみよう。
自然に「ありがたい〜」って湧き出すよ。
意味も価値も名前も知らない頃の
体感こそが感謝の感覚。
感謝は続くよどこまでも。











