ひとりごと22 | rossiの世界

rossiの世界

心の声、心の葛藤や変化を書き残しています。





自分が見ている世界は


自分が作り手になっている。







じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、etc



どれも自分が選んで見ている。







どんな味にしたいのかも



自分で選んで味わっている。






自分の見ている世界は


自分が作り手なのだから


硬く苦手なじゃがいもに


甘くときめくにんじんに


見立てているのも、


作り手である自分自身。





自分の見ている世界は


他の誰でもなく


作り手である自分が主人。


どんな風味にしたいのか


好きなように味付けできる。





あんな作り手になりたいと、


他の作り手に見える玉ねぎすらも


自分の作った世界の中の玉ねぎに過ぎない。






自分の見える世界の中で


じゃがいも同士で話そうが


にんじんと玉ねぎが仲良くなろうが


具材を選んで見てるのは


作り手である自分自身。






具材の主張の言いなりや


材料任せにしていると


思わぬ味になりかねない。


どんな味にしたいのか決めるのは


作り手である自分自身なのだから、


作ることを放棄したら


放棄した味になる。





誰かに作り方を求めたところで、


その誰かすらも


自分の見える世界の


お肉や魚介に過ぎない。


どんなに遠くへ足を運んだつもりでも


求めるものは


作り手である


自分が手がける世界の中にしか


存在しない。






自分の見える世界は


焦げ付こうが、具材を変えようが


味を変えようが、不味くなっても


美味しくなっても、分量を間違えてたって


生きている限り


火にかかった鍋が降ろされることはなく


やはり自分が作っていくしかない。






見えている世界は


自分が作り手。


見えている世界は


自分が主人。



今日はどんな味にしようか。