M-1三回戦の朝、母から電話があり、
「お父さんもうダメかもしれないから、一度会いに来ておきなさい」
という電話があった。
親が死ぬ、という出来事に、どういう感情を当てはめたらいいのかよくわからないまま、僕は、
「今日はM-1があるから行けなくて、明日も収録があるから行けるとしたら明後日かな」
と答えた。
僕は前々から母親に、
「たとえ親の死に際でも、自分は仕事を優先する」
と言っていたし、なんなら母親も、
「死ぬ人の相手してる暇あるなら、働きなさい」
と言っていた。
社畜親子だ。
うちの父親は、いろいろ家族を振り回して来た人だ。
金銭的にも、精神的にも。
僕は父がもうダメかもしれないと聞いて、よくわからない感情を抱いた。
父は三年前ぐらいから体調が悪くなり、何もする事が出来ない状態だった。
本当なら僕も実家に帰った方が良かったのかもしれないが、母が、
「お笑いを辞めてはいけない」
と言ってくれて、今の状態だ。
その代わり、というわけでもないのだが、母に仕送りだけはちゃんとしようと思った。
まあまあな仕送りだ。
だからこんなにもバイトをしているのだ。
だから「父がもうダメかもしれない」という報せを聞いた時に、悲しさよりも、ほっとする気持ちが上回った、と言うのも納得が行く。
「親が死にそうなのになんて事を!」
みたいな意見には、一切耳は貸さない。
それぐらい、僕ら家族は父親に振り回されて来たのだ。
M-1三回戦が終わり、次の日はにちようチャップリンの収録だった。
収録が思ったよりも早く終わったので、僕は姉に電話した。すると、父を搬送した病院がテレビ局の近くだったのだ。
僕は、
「じゃあ今から行くわ」
と言い、病院へと向かった。
病院へ着く前にタバコを一本吸い、なんとなく気持ちを落ち着けた。
病院に着き、父を見た。
父を見て最初の感想は、
「もうダメだな」
と思った。
よく葬式で、最期のお別れと称して棺桶をのぞくが、その中にいる人と変わらない感じだった。
父は意識が朦朧としていて、まともに会話も出来なかった。
母と姉と僕は、あとは病院に任せる事にし、駅へと向かった。
途中母が、
「なんかお腹すいたから食べて行こうよ」
と言い、僕ら三人はファミレスに入った。
特に当たり障りもない会話をしていたが、僕がぼそっと、
「最後まで家族を振り回す人だな」
と言ってしまった。
「最後」と言ってしまった。もう死ぬ前提の話として、言ってしまった。
しかし母も姉も、
「ほんとね〜、最後まで迷惑よね〜」とか、
「まあ、最後だから我慢しよ」とか、
最後というワードがガンガンに出て来た。
僕ら三人は、もう父はダメだ、という認識で一致した。
悲しいのか何なのかもよくわからないが、これが父の最後なんだな、と思った。
それから10日後、姉から、
「明日見舞いに行ってくるわ」
と連絡があった。
自分も、
「もう一度ぐらい会っておかないとな」
と思った。
この日はライブだったのだが、ライブ中姉から、
「ねえ!お父さんなんか元気になってるんだけど!!?」
という連絡が来た。
「はあ?」
「いや、なんか元に戻ってるよ!?ご飯もバクバク食べてるし!なんで!?」
「いや知らんわ!」
「え、死んじゃうと思ってた、、」
「自分も、、」
「死なないっぽい」
「マジか」
みたいな、会話が繰り広げられた。
まあ生きていてくれる分には、別に文句は言わないが、ほんと父は、生きても死んでも家族を振り回す人だ。