四月に高校へ入学し、秋におばあちゃんが死んだ。
この約半年間、期間限定で僕はグレたぶっていた。
そして真面目に学校へ通おうとした矢先、とある問題が浮上する。
『北澤家貧乏問題』だ。
どうやら、子供の学費を払うのが苦しいらしい。
この頃姉は警察官になりたくて専門学校へ通っていた。
専門学校はただでさえお金がかかるから、僕は気を使い都立の高校へ進学した。
それでもやはり厳しいらしい。
当たり前だ。この頃の父と言えば、働いてるのか何なのかよくわからない状況で、家計はほぼ母が一人で担っていた。
本当にすごい人だと思う。根性が違う。
僕は母に、学校を辞めようと思う、と伝えた。
「少しでも生活が楽になるなら」が半分、
「学校に全然行ってなかったから、もしかしたらダブるかも」が半分だ。
母は「辞めて何をやるの?」と聞いて来た。
特にやりたいこともなかったが、バカみたいに映画だけは観ていたから「映画の仕事いいな」とふと思った。
映画の仕事をやりたいし、そのための学校に通うお金は自分で貯めるから、高校は辞めたい。
今思えば、とても浅はかだなと思う。
「高校ぐらい出といた方がいいんじゃない?」
という母の言葉を、まったく聞いていなかった。
その晩父と話をし、高校を辞める事を決めた。
退学届はなぜかクリスマスイブに母親と出しに行った。
そこで先生に「辞めるから言うけど、お前ほぼ満点で高校入試合格してたんだぞ」と言われ「早く言えよ」とちょっとだけ思った。
帰り道、母が中華屋で食べて行こうと言うので、二人でご飯を食べた。
高校に入ってグレて、おまけに高校まで辞めた子供に、母はずっと優しかった。
この後僕はアルバイトを始め、本当に映画の学校に通おうと、一年間で200万を貯めた。
その200万を母親に全て取られたのだが、それはまた今度。