石窯で焼くスコーンが
ふたごのお気に入り。

たまたま出かけた時に
町のパン屋で見かけた半蔵が
見よう見まねで試作をしていたのを
めざといふたごが
味見係を買って出たのだ。

菓子作りが得意な
連れ合いの加寿子がアドバイスをし
何回か作るごとに慣れて
うまく出来るように
なってきた。

ママの手作りジャムや
はちみつをたっぷりとかけて
両手でスコーンをつかみ
テーブルを盛大に汚しながら
腹いっぱい食べるのは
同じ顔をしている
志恩と礼恩だ。

ぼろぼろ落ちた
クズ粉なんか気にしない。
ベトベトした頬や手なんか
気にしない。

食べることに夢中なふたごは
ズボンがずり落ちて
ぷっくり膨らんだ腹が
丸見えだ。

おなかがふくれているおかし
と、言っていた
ふたごの呼び方を聞いた光太郎が
ジジバカを発揮して
ちょっかいを出す。

なんだ、お前たち二人の
腹のようだなぁ。
と、指で突くと
途端にはじけ飛んだ。

見上げるふたごの
おじいちゃんを睨みつける目は
目の前のおじいちゃんにそっくり。
モグモグと忙しなく
口を動かす様子も
おじいちゃんそっくり。

分かった分かった
邪魔をしたな
と、白髪頭を掻きながら
目は娘婿を探していた。

御朱印を書いていたらしく
ひと息入れようと
涼しい板廊下に腰を下ろして
涼風に吹かれていたようだ。

住職の仕事を
さりげなく手伝ってくれる
義父の光太郎は
またとない助っ人だった。

御厨屋が妻帯する前のこと。

新米住職として収まってから

前住職が残した過去帳や

覚え書きを頼りに

村に点在する風雨に晒され名前の消えた

古い墓や石碑を調べていたものだ。


書庫に残されていた虫食いの跡が残る

書き物を丹念に調べながら読み取り

長老たちに聞いて回りながら

コツコツと書き溜めてきた。


任された寺の片隅には

幾人もの餓死しただろう子どもの名前と

年齢が刻まれた粗末な石碑があった。

根気よく調べて、そうと知れてからは

毎日毎日、小さな茶碗に

米飯をこんもり盛り付けて供養し

手を合わせていたのは

御厨屋だった。



昔は

七歳までは神のうち

と言ってなぁ。

赤ん坊や幼児の死亡率が高かった。

七歳までは いつ死んでもおかしくない

と、いう意味する背景には

厳しい暮らしがあったんだ。


現に、この村だってそうだ。

山の暮らしは

ちょっとした気候の変動で

穀物が取れず、食うものがない

飢饉に見舞われてな。


満足に乳の出ない母親も

生まれた赤ん坊を育てられないまま

栄養失調で死んで行ったと

ワシの子どもの時分には

繰り返し聞かされたものよ。


義父の光太郎の昔話を聞くのは

娘婿の自分の役目だとばかりに

耳を傾けていた。


静かな空間に

しんみりとした話が流れ

光太郎の昔話はまだまだ

続くはずだった。


が、おおよそ 

似つかわしくない大音声が

突然のように鳴り響く。


パパー!

おじいちゃん!


大人たちの感傷など

なんのその。

湿っぽい昔の話など

知らぬ存ぜぬとばかりに

どこかへ吹き飛ばして

こちらへ走ってくる。


たらふく食べた

ふたごが

甲高い声を上げた。


半蔵たんが

あしたのぶんのオヤツを

やいてくれるんだ。

ぼくたちのだから

たべちゃダメだよ!


そう言い放つと

勝ち気そうな顔を

くるりと庭に向けて

また何処ぞへと走っていく。


やれやれ、元気過ぎて

我らの分のスコーンを

すっかり食べられてしまいましたよ。

私も油断していましたねぇ。


流れるような首筋の汗を拭って

苦笑した半蔵が

到来物の煎餅とほうじ茶を

持って来たようだ。


七歳までは神のうち、

は、我が家では

食欲旺盛なチビ神さまを

言うんですよ。


腕を組んだ御厨屋が

ポツンとつぶやくと

光太郎の高笑いが始まった。


いやはや めでたい めでたい

良きかな良きかな

と、大口を開けて煎餅を頬張る。

バリバリと小気味よい音が響き

煎餅の破片が落ちようが

クズ粉が飛ぼうが

まったく気にしていない。


その様子を見て

ふたごにそっくりだと

御厨屋と半蔵は

目と目を示し合わせて笑う。


ひぐらしが鳴きわたり

晩夏を思わせる里山に

男たちの笑い合う声が

聞こえる。


森の濃い緑に

石窯の煙が吸い込まれ

残りの夏を惜しむかのように

ゆっくりと消えていった。