六月下旬から九月の間は
お寺カフェのメニューに
夏越し飯が出る。

人肌に冷ました白飯の上に
のせた日替わりの惣菜を
半分くらい食べてから
茶漬けにするという
工夫がされているものだ。

今日の飯は
細く裂いたカツオのなまり節に
めかぶと長芋の千切りを楽しみ
残りの飯に、しば漬けをのせて
ほうじ茶をかける。
付いてくる冷や汁を
残り飯にかけるのもよいと
夏場のどんぶりメニューだ。

きっかけは、住職の御厨屋が
暑さで食欲の落ちる夏に
スタミナをつけるためだと
ウンチクを語りながら
自分で作っていた昼飯だった。

ひきわり納豆と
すり下ろした長芋に
刻んだオクラとミョウガを
軽く混ぜて白飯にかける。
気が向けば生卵の黄身をのせ
そこへ、醤油と少々のラー油をかけて
一気に掻っ込むのだ。

食べ終わったどんぶりへ
お茶を注ぎ、一枚だけ残した
タクアンで拭くようにすれば
いい塩梅に油汚れが落ち
そのまま飲めば洗わなくていいから
一石二鳥だと言っていたものだ。

祈祷を頼まれ集中していれば
いつのまにか昼飯のことなど
忘れているが
腹は正直なもので
祈祷が終わった途端に
合図のように腹の虫が鳴る。

次の祈祷の合間に
腹ごしらえをするのだが
お寺カフェで忙しい家人の手を
煩わせるのも気が引ける。

冷飯にかつお節をかけて
焼き海苔を散らし
醤油を回しかけるのもいい。
昨夜の残り物を詰めた弁当があれば
またとない御の字だと思うのは
食にこだわりの無い御厨屋にとっては
格別に幸せなひとときだった。

かぶりつくように
うまそうに掻っ込む御厨屋へ
お茶を出すのは半蔵だ。

勇次さん
ゆっくり食べてくださいよ
次のご祈祷には間がありますから
と、キュウリとミョウガの
冷や汁を持ってくる。


今日の夏越し飯は

枝豆ご飯に添えた

ナスの胡麻味噌炒め

ウドのからし酢味噌和え

赤魚の付け焼き。

塩昆布で和えた千切りキャベツ

には、たっぷりと

ジャコをかけてある。


一足先に

お椀に盛られた枝豆ご飯を

きれいに食べたふたごは

自慢げに鼻の穴をふくらます。


ご飯を残さず食べたら

おやつに到来物のスイカを

食べさせてもらえる

と、幼子は知っている。


朝のまだ暑くなる前に

スイカを持って来た村人に

頭を下げていたのは半蔵で

さっそく井戸水に漬けるよう

吊るした桶にスイカを入れていたのを

めざとく見ていたのだ。


以前なら井戸を何度も覗き込んで

そのたびに注意されていた。

井戸水をたくさん使う夏場は

いちいち蓋をするのは

面倒になる。


御厨屋が使う大きな砥石を

上手に足がかりにして

冷やしていた黄色いマクワウリを

覗いていた時には

半蔵の肝をひどく冷やしたものだ。


万が一があったらいけない。

井戸の端に手をかけ

背伸びをしているから

なんとも危なっかしい。


相談された御厨屋は

しばらく考えた後に

やんちゃな我が子を呼んだ。

ちゃんとご飯を食べたら

パパの分のオヤツを

あげようと約束してから

ふたごは安心したのか

井戸に近づくことはなくなった。


大きなカエデの枝が

いい塩梅に日除けになって

緋毛氈が掛かる縁台には

たくさんの常連さんが座って

順番を待つ。


お寺カフェは盛況だ。

麦茶用の茶碗は井戸水で洗うが

水道水よりも心持ち

さっぱりと仕上がるように思う。


雨ざらしだった井戸に

屋根を作ったのは

新米住職だった頃の御厨屋だった。

見よう見まねの大工仕事の割に

頑丈に仕上がっている。


こんこんと豊かな水が

湧き出る様子を見て

命あるものと思ったものだが

今や無くてはならない

お寺カフェの水源になっている。


程よく冷えた頃合いを見計らい

滑車を使って、釣瓶桶に入れた

麦茶のヤカンを引き揚げる。


見上げた半蔵に

吊り下げた風鈴が

チリンチリンと鳴った。