白髪頭に茶色のチェックの
ハンチングをかぶった河谷は
自分の畑で採れた
きゅうりだのトマトを
たくさん持ってやって来る。

さっそく井戸水に浸し置き
半蔵がいつもの注文を通す。
お寺カフェ自慢の和定食を食べ
食後にコーヒーを飲みながら
半蔵と世間話をするのが
河谷の楽しみだ。

北海道生まれの河谷は
たまさか、巡礼路の途中に寄った寺で
故郷が同じ半蔵と出会ったことで
少しずつ身の上話を
するようになっていた。

寺を訪ねてくる人によっては
話をしながら酒を酌み交わすのも
寺の役目だ、と考える光太郎が
袖すり合うも他生の縁だと
よくそう言っている。

人生を長く歩いていれば
置いていきたい重荷や辛い思い出が
誰にでも ひとつや二つはあるだろうからと
訳ありの人がいれば
住職の娘婿にも遠慮なく引き留めるように
言い含めているのだ。

河谷と半蔵の話は
あちこち脱線しながら
またぞろと旅に出るのも一興だと
軽口まで弾んでいる。
また日本全国を見て回るのも
楽しいかもしれませんぞ、と
半蔵の肩を叩く河谷は
楽しそうな声を上げていた。

新鮮なきゅうりに味噌を付けて
そのまま齧るのは
住職の御厨屋の好物だ。

父親の真似をして
味噌を付けてもらった
きゅうりを頬張るのは
ふたごの志恩と礼恩だ。

パリポリと音をたてながら
河谷の顔を覗き込んだふたごは
イタズラっぽい目をクリクリさせ
まるで嗜めるようなクチで
話しかける。

半蔵たんは
ぼくたちニンジャの
ししょうなんだよ。
だからどこにもいかないんだ。
ずぅーっと ぼくたちと
いっしょにいるんだから。

満足そうに言うだけ言って
井戸端へ歩いていく
ふたごの後ろ姿が
半蔵を誘っている風だ。

聞きましたか?

あゝやって一人前の口を

きくんですよ。


私にとっちゃ

何よりの元気の素になるじゃあ

ありませんか。

年を取ってる場合じゃあ

ないんですよ。

負けられませんからね。


河谷へささやくように

耳打ちしてから

小走りに近づいた井戸から

何やら引っ張りあげる。



煮出した麦茶に黒砂糖を入れて

程よく甘く仕上げたのは

子どもたちの好物だった。


イタズラっぽい目つきで

半蔵を探すように振り返り

ジィっと見上げる。

いつのまにか両隣に座ってきて

うまそうに麦茶を飲むふたごを見て

半蔵には甦る記憶があった。


頭を打って記憶を無くした半蔵は

御厨屋家族に救われた。

だが、ひょんな事から

記憶を取り戻した時

いたたまれない気持ちになる。


妻子を守ることすら

出来なかった男が

ここにいてはいけない。

こんな自分が

幸せになってはならない。


責め苛むように

自分を恥じて生きてきた半蔵にとって

平々凡々ながら

幸せな日々を送る御厨屋一家に混ざって

いつまでも居座るなど

自分という人間は

不似合いのように思えた。


岩の上で頭から血を流し

ボゥと呆けていたのを見つけたのは

御厨屋の長男の勇太郎。

出て行こうとする半蔵を

引き止めたのは

幼いふたごだった。


半蔵は

今でもありありと思い出せる。

どこにも行っちゃイヤだと

むしゃぶりつくようにしがみつき

小さな手を離さなかった

ふたごの志恩と礼恩。


半蔵の腰にも届かない

小さな幼な子のどこに

こんな力があるのか

その事が半蔵を

ひどく驚かせたものだ。


どこにも行かない、と

半蔵が言うまで

二人で両脚を掴んだまま離さず

身動き出来ないままの半蔵は

とうとう根負けし

観念したものだった。


あゝ

自分を必要としてくれる

人たちがここにはいる。


大人たちは道理で考えるから

無理は言えないものだが

幼な子には

そのような理屈など通じない。


袖すり合うのは

もともと縁があるということか。

あらためて深く腑に落ちて

空を見上げる半蔵に

蝉の声が降ってくる。


カエデの大木の

広く張り出した枝の下に

三々五々集まっては

涼を求める参詣人たちも

眩しそうに目を細めた。


乾いた境内に向い 

焼けた地面に水を打つ半蔵へ

まとわりつくように風が

巻き起こる。


ゆらゆらと

陽炎の立ち上がる境内が

やがて訪れる

夏の盛りを告げていた。