なぜだー
なぜなんだー
誤算があった。私が甘かった。
まぁ、何事もやってみなければわからないこともある。やりながら修正できればいいけど、できなかったということだ。
自覚してようがしてなかろうが、40代の体力は確実に落ちていた。
病棟看護師は朝から晩まで立ちっぱなしの動きっぱなし。ある期間、万歩計をつけてみた。1日平均、1万3000歩。距離にして9㎞~10㎞。もうこれだけでクタクタ。家に帰ったら動けない。母としての戦闘力は0。こどもを連れて外食して帰宅して、ソファーに座ったら、気絶するように眠ってしまう日々。瞬間的に眠りに落ちるため、唾液を誤えんしてむせるレベル
家のこと、こどもたちのこと、仕事以外何も手につかなくなった自分に自己嫌悪。
寝て、起きて、働いて、疲れて、自己嫌悪の繰り返し。体力があれば、家に帰ってもバリバリ動けたのかも…。
夫は仕事柄、深夜まで帰宅しない。
夕方から夜は私が家事やこどもたちのことを担当する。これは、看護専門に通っていた時から変わらない。少しの残業は覚悟していた。せめて19時くらいまで。が、実際のところどうだったか…
定時なんてありえない…時計の針はあっという間に20時…21時…22時。みんな残ってるし。もともと残業ありきの業務量。最初から定時で帰れるようになんて考えられてない。
悪いことは重なるもの。夏ごろ、病棟再編があり、救急受け入れ病棟になってしまったことから、脳外、整形、内分泌、消化器外科、消化器内科、乳腺外科、小児科の患者さんも看ることになった。もともと呼吸器外科、呼吸器内科、眼科だったのに。多様な疾患をもつ患者さんが入り乱れることになった。もうなにがなんだかわからない。おまけに患者さんは80~100才のお年寄りばかり。慣れない上に業務は、より煩雑になり、手間も増えた。
先輩たちの受け持ち患者数は10人を越えている。13人なんて日もあった。行き着く先の姿はあれか…と気が重くなった。まるで看護じゃない、業務をこなして疲弊して、夜遅くまで残業の日々…。
看護師のキャリアのスタートは急性期の病棟からって誰が決めたんだろう。まさかこんな病棟に配属になるなんて…。もっと考えて就職したら違ったのかな。人生にたらればはない。自分が悪い。
周りにサポートしてくれる人はいますか?面接で子持ちママが必ず聞かれること。
『はい!います!お義母さんです。』これが甘かった。車で10分ほどのところに義実家はある。夜勤や病棟会、グループ会、勉強会など、もともと残業が決まっている時は前もって頼んで来てもらい、事なきを得ていた。
だが残業は毎日なのだ。息子は不安になると、『おばあちゃーん、ママが帰ってこない。きてー。』って電話をするようになった。残業が終わって慌ただしく帰宅すると、お義母さんがいることが増えた。車の免許がないので、タクシーで来てくれる。お義母さんはまだ現役で書道の先生をしている。趣味は乗馬や旅行。私のことを責めはしないが、お義母さんを振り回していることが段々と心の重石になってきた。お義母さんにはお義母さんの生活があるのに…。ごめんなさい。
こどもには手がかかる時期、目をかける時期、手を離す時期があると言われる。手がかからなくなったからといって、母親が家庭不在になってはいけなかった。
小学4年生男児。手はかからなくなったが、大人がいない自宅は放課後、こどもの集会所になってしまった。トイレがやけに汚かったり、お菓子のゴミがやたら増えたり…。共働きの核家族のこどもたちに門限はない。何時まで遊んでいるんだろう…。残業になる前に携帯で自宅に電話をいれる。『お友だちは帰った?ママ、もう少しかかるからね。宿題しといてね』17時に帰れたら…。17時に帰れたら。17時に帰れたら…。今日も帰れない。泣きそうになる。娘は駅に着いたかな?迎えにいってあげたいな。バスで帰ってきてるかな?ごめんね。ごめんなさい。
私が仕事をすることで、みんなにごめんなさい。
なんだよ…誤算だらけじゃないか。私は甘かった。全部自分が悪い。
ごめんね…ごめんなさい。誤算だらけ。情けない。