気にかけてはいたんですが、いろいろ忙しくて1日過ぎてしまいました
高次脳機能障害の公式な啓発デーが今のところないので、「5(こー)2(じ)0(のう)」で「5月20日を高次脳機能障害の啓発の日にしてみませんか」というブログ記事を拝見したのが3年前。
今年はリブログさせていただきます。
身体と違ってなかなか他者からはわかりにくい障害を当事者の立場から絵と文字で表現してくださっていて、高次脳機能障害を持つ人の内面がとてもよく伝わってきます。
私の父は高次脳機能障害を持っています。
変わってしまった父について、3年前私は「切ないというか、寂しいというか」と書きました。
今もそういう思いはあります。
ありますが、今は「そういうものかな」という思いも出てきました。
上手く説明できないけど、
今の父を受け入れて「そういうものかな」と思っているという意味でもあるし、
変わってしまった父を寂しく思う気持ちを受け入れて「そういうものかな」と思っているという意味でもあります。
少し前に、高齢者施設のレクレーションで楽しんでいる利用者さんの動画をSNSで見ました。
アイディアが良くて、季節感やゲーム感もあって、単純な動きだけど案外細かな感覚や運動が必要で、何より純粋に利用者さんがすごく楽しんでいてイキイキして見えました
ただ、その動画に寄せられたコメントを見ると、「幼稚園みたい」「子供の遊びみたい」というようなものも多くありました。
「まあ、確かに」と思う反面、利用者さん本人達が楽しめているならいいのでは?と思ったり
子どもの頃、大人がやってる趣味について「何が楽しいのかわからない」と思っていました。
きっとその立場になってみなければ、なかなか想像出来ないのかもしれません。
認知症で複雑なことが考えられなくなったり、歳をとって身体が思うように動かなくなったりしてできることが少なくなって行った時、何を楽しいと感じるかは、そうなってみないとわからない。
…んではないかな、と思います。
だから、利用者さんたちの笑顔が「正解」なんじゃないかと個人的には思います。
話が少しそれましたが、
その動画のコメントの中で、「これまで威厳のあった父がこういうレクレーションをすると思うと複雑な気持ち」というようなものがありました。
「子どもの遊びみたい」という批判の中には、やっぱりそういう思いがあるのかなと思います(「親がこんな子どもみたいなことさせられてるなんて」みたいな)。
そのコメントに対して「その気持ちはわかりますが、今のお父様を見てあげてください」というような返信がされていました。
ちょっと、ハッとさせられました。
変わってしまったのを受け入れるのは、難しい。
「難しい」ではなくとも、いろんな複雑な想いが伴うものです。
でもそれでも、「今の姿」を見て、「今の本人」に向き合うことが大事だよねと気付かされました。
どんな病気でも残酷だけど、
性格に変化をもたらす病気って、ほんと残酷。
自分や大切な人の
変化と向き合うこと、
老いと向き合うこと、
時に正面から、
時に片目を瞑って、
時に昔はよかったと懐かしみ、
時に葛藤し、
今の姿を見て、今を生きていくことが大事だよなーと思いました。
上手く言えないけど。
(脱抑制が軽度だからそう思うのかもしれないけど)
ああ、でも、病前のお父さんのこと好きだったんだ。尊敬してたんだ。
今も好きだし尊敬してるけど。
ともかく、傍目にはわかりにくい高次脳機能障害が、いろんな人に知ってもらえるといいなと思います
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