「御国は、俺達死んだとて
 ずっと後まで残りますよネ
 失礼しましたで終わるだけ
 命のスペアはありませんよ

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 ・・・・・
 死んで神様と 言われるよりも
 生きてバカと言われましょうよネ
 きれいごとならべられた時も
 この命をすてないようにネ

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい」

 (作曲:加川 良 作詞:加川 良 「教訓Ⅰ」より引用) 


2、3年前に録画したビデオをなにげなく見ていたら、加川 良さんが「教訓」を歌っていて、懐かしかったです。私が中学に入ったばかりの頃、文化祭でこの曲をコピーしてギター片手に、歌った子がいて、メッセージ性が強烈で、かっこいいと思いました。(今の若い人が聞いたら、ネガティブで、軟弱に感じるでしょうね。でも、この反体制的なフレーズがかっこよかったのです。)しかし、今にして思えば、公立の中学でこの曲を堂々と歌えたのは、日教組の力が強かったからだと思います。そして、思春期の頃に植えつけられた左翼的な考えは、学生運動が衰退し共産圏の国々の体制崩壊とともに、消滅しかかってます。今では、自衛隊の存在は、ほとんどの国民がその活動を認めているでしょうし、自分の国を自分たちで守るのに、それなりの自衛装備は必要と考えるのが、ほとんどの人々でしょう。だから、反体制的な歌は、あの頃の流行と言われてしかたがないのですが、歌の内容が現実そのものを描写していてアングラ的要素の強いもので、ある意味、今、聴くと新鮮に感じるのです。この曲を今の時代に置き換えると面白い事に気づきました。たとえば、薬害肝炎訴訟の応援歌にも聴こえるし、御国を会社と置き換えると、過労死の問題として、その歌詞が迫ってくるのです。また、歴史は繰り返すという言葉があるように、改憲問題も十分な議論が必要だと、この歌詞をみて思いました。(後、集団的な心理の暴走の抑制にも、聴こえます。)
「患者エイムスに訴えられたコバッチュが初出廷する。木工職人だったエイムスは、脳卒中の後遺症で重度の障害を負ったのは病院側の過失だと訴えていた。2年以上前のある日、ERに来たエイムスは最初はセキを訴えているだけだった。エイムスの証言とともに当時の状況がよみがえる。」(ER13-5より引用)    ERがまた放送されているのを知り、予約録画してます。13シリーズ目ともなると、途中、観てなかった部分も多く、ストーリーとしてつながっているのだろうかと思ってましたが、しっかりと筋は通っているようです。アビーは、最初の頃は看護師でしたが、今や優秀な医者として大活躍です。しかもルカとの間に子供もいました。ERのスタッフもかなり変わりましたが、面白さは変わっていないようです。

ER13-5
http://www9.nhk.or.jp/kaigai/er13/yotei/story_05.html
ER13トップページ
http://www9.nhk.or.jp/kaigai/er13/index.html
「7日夜、肺がんで亡くなったジャーナリストの筑紫哲也さん(享年73)は、政治や経済、社会分野だけでなく、芸能やスポーツ、海外の首脳にまで幅広い人脈を築いていた。その死を悼む声は各界から寄せられている。ともに九州出身で、ライバル社ながら新聞記者、雑誌編集長、テレビキャスターと、常に同じ道を歩み続け、自身も2005年からがん闘病を経験した鳥越俊太郎氏(68)は、「ボクは道を歩いていて100万回くらい筑紫さんに間違えられたことがある。本人に話すと『ボクも鳥越さんに間違えられたことがある』って。『それは1、2回でしょ』と返したら笑ってたなぁ」と懐かしんだ。」(YAHOO!ニュースより引用)    先ほど、特番で追悼番組があってました。筑紫哲也氏のニュース番組である「NEWS23」は、平成の約20年間を駆け抜け、「多事争論」を思い出しては、懐かしささえ感じます。筑紫哲也氏は、がんと闘われ、最後までペインケアは拒否されたそうです。表舞台にはみえない壮絶な闘病生活に、おもわず、手を合わせてしまいました。立花隆氏が追悼番組の中で述べられてました。彼は自由人という自由闊達なものでは語りきれない。筋金入りのリベラリストと呼ぶにふさわしいと。合掌。

YAHOO!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081108-00000016-ykf-ent
「「おばあちゃん!」と小さな子は大きな声をあげました。「お願い、わたしを連れてって!マッチが燃えつきたら、おばあちゃんも行ってしまう。あったかいストーブみたいに、おいしそうな鵞鳥みたいに、それから、あの大きなクリスマスツリーみたいに、おばあちゃんも消えてしまう!」少女は急いで、一たばのマッチをありったけ壁にこすりつけました。おばあさんに、しっかりそばにいてほしかったからです。マッチのたばはとてもまばゆい光を放ち、昼の光よりも明るいほどです。このときほどおばあさんが美しく、大きく見えたことはありません。おばあさんは、少女をその腕の中に抱きました。二人は、輝く光と喜びに包まれて、高く、とても高く飛び、やがて、もはや寒くもなく、空腹もなく、心配もないところへ――神さまのみもとにいたのです。」(ハンス・クリスチャン・アンデルセン作、結城浩訳「マッチ売りの少女」より引用)    少しずつ冷え込む季節になりました。暖かさが心地よく感じられるこの時期に「マッチ売りの少女」を引用してみました。童話というものは、子供に聞かせるものですが、最もわかりやすいたとえ話ととらえることもできそうです。私たちは、寒かったり、辛かったり、死に対する恐怖を感ずる事もあるかもしれません。でも、極限の状態に身を置くと、最期に走馬灯のように、愛して止まない人々との楽しかった思い出とともに宮沢賢治の「よだかの星」のように、生きているのか死んでいくのかわからない混沌の世界があり、それは、きっと、寒くもなく、空腹もなく、心配もない安らか世界であることで救われたいという気持ちに、共感していたいのです。
「落語家は人を笑わせる職業。しかし、小三治は無理やり人を笑わせようとするのは、本物の芸ではないと考えている。小三治は、かつて師匠の五代目小さんから、お前の噺(はなし)は面白くないと言われ、深く悩んだ。落語の面白さとは何かを追い求めている中で、伝説の名人、古今亭志ん生の言葉を聞く。その言葉は「落語を面白くしようとするには、面白くしようとしないことだ。」落語自体が持っている面白さを素直に演じることで、無理やりうけようとしない。小三治はそれ以来、本物の芸を突き詰めている。」(プロフェッショナルより引用)    ここの所、ほとんど落語にふれる機会がないです。子供の頃は、親の好みで落語をテレビでよく見てました。古典落語は、元々人気のある面白い話しが語り継がれてきたそうです。だから、演目そのものが成熟しているのです。たとえば、こんな小噺。「せっかく、無精者が集まったんだから、無精会をしようじゃないか。」「やめときなよ。めんどくさいから。」 やっぱり、おつな面白さですね。

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/081014/index.html