佐野 元彦氏は、次のように述べられてます。「チームメンバーとは徹底的に話し合ってコンセプトを共有していきます。『篤姫』の場合、先ほどお話した篤姫と小松帯刀のふたりの目線から切り取った物語にするというコンセプト以外にも、中心になるコンセプトがいくつかあります。まず暴力的シーンを極力排除すること。特に血が流れるシーンは極力抑える。次に登場人物は運命をポジティブに受け入れていくように描こうという約束事も最初に作りました。その究極として、天璋院は最後はすべての人とわかり合えるというメッセージも貫きました。」(wisdomより引用)    歴史的な事実をきちんと並べただけでは、面白いドラマにはならない。宮尾登美子さんの原作と同じではないのは、綿密に練られたコンセプトの違いによるもの。そして、視聴者を引きつける一本道を生き抜く女性のストーリーは、佐野 元彦氏のアイデアとキャスティング、さらにこのコンセプトの徹底により、みごとにヒットへとつなぎました。

wisdom
http://www.blwisdom.com/pr/producer/02/
「神の偉大さに比べて、私はなんてちっぽけなのか。ほとんど無に等しいかもしれない。あまりに無力で、空っぽで、そしてあまりに小さな私。」

この言葉は、多くの人々に希望を与えたマザー・テレサによるものです。敬虔なクリチャンである方ほど、神の偉大さを理解している方であるほどに、こういう想いにかられるものでしょうか。1979年12月10日、ノーベル平和賞受賞時にマザーは、アッシジの「聖フランチェスコの平和の祈り」を唱えました。

アッシジの「聖フランチェスコの平和の祈り」
「主よ あなたの平和をもたらす道具として 私をお使い下さい
 憎しみのあるところには 愛を
 争いのあるところには 許しを
 分裂のあるところには 一致を
 誤りのあるところには 真理を
 疑いのあるところには 信仰を
 絶望のあるところには 希望を
 暗やみには 光を
 悲しみのあるところには 喜びをもたらす者として下さい
 慰められるよりも 慰めることを
 理解されるよりも 理解することを
 愛されるよりも 愛することを求める心をお与え下さい
 忘れることによって 自分を見いだし
 許すことによって許され
 自分を捨てて 死に永遠の命をいただくのですから」

語録:ノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と問われて、マザーは、帰って家族を大切にしてあげて下さいと答えた。

「その時歴史が動いた」
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_12.html#02

P.S. 9年間も続いた番組、「その時歴史が動いた」が終了しました。この番組も時々、見ていたので、残念です。
今日は、取り貯めていたネタを掲載します。「映画の冒頭で、古代ギリシャの哲学者ゼノンが考えた、俊足アキレスはいつまでも亀に追いつけないという《アキレスと亀のパラドックス》が紹介されている。その答えは難解で、アートの探求に終わりがないことの比喩だろうと思うが、売れない画家の半生を描いた物語は分かりやすくて楽しめる。主人公の名前を真知寿(マチス)にしたお遊びはともかく、絵画と出会う少年時代、仲間や恋人ができる青年時代、さらに悪戦苦闘の中年時代と、伝記映画の形になっていて、それぞれの時代を別の俳優が演じる。  北野映画は「HANA-BI」や「Dolls(ドールズ)」がそうだったように、暴力と死の誘惑をテーマにしている。」(YAHOO!JAPANより引用)    北野監督の作品を初めて、観ました。2時間の長編で、ラストまで、客観的な描写が淡々と続くため、観る事に我慢を強いられます。北野監督は、商業的な事をほとんど考えていないのではと思います。本当に撮りたいものを撮り、観客に観る事を強制しているのか感ずるほど、強引なストーリィー展開です。(死や暴力の扱いは、観る人々に受け入れられるか疑問です。)それでも北野作品なのだから、何かがあるはずと信じて観る。内容には触れませんが、私はラストで不覚にも涙を抑えられませんでした。北野監督は天才であり、北野マジック(毒入りのコメディー等)にだまされたと思いたい。(この映画は、一般受けはまず、しない。芸術家の狂気の世界です。)

YAHOO!JAPAN
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id331100/
「道というものは、みな、
 ひとのいるところへ、
 通じているものなのです。」

 (星の王子さま、サン=テグジュペリより引用)

自分が正しいと感じた道(方向)が、周りの人々の道(方向)と違っていた場合、どのように感じるでしょう。言い方を変えると10人中、8人が同意している事に異を唱える自分がいたとしましょう。自分は、正しいのか間違っているのか。...私は、この世の中で普通に生きていきたいと思うのであれば、紆余曲折があったにせよ、「ひとのいるところ」(社会的、常識かもしれない)へ、客観的に自分の誤りを認め、きちんと軌道修正するのが適切かと思います。ただ、皆で渡れば怖くないという妥協はすべきではないでしょう。当たり前の事を、書いてますが、自分が凝り性もなく繰り返し、反省すべき点があって困ったものです。
「小学6年生の時、初主演ドラマ『瑠璃の島』で一躍脚光を浴びた成海璃子。2007年には『神童』『あしたの私のつくり方』など3本の映画に主演。大人びた容姿と演技で、14歳にして23歳役、15歳で大学生役を演じ、その違和感のなさから「天才少女」と呼ばれてきた。5歳の時「テレビの中に入りたい」と願って子役に。今年、映画『罪とか罰とか』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督)でコメディにも初挑戦する、彼女の素顔に迫る。」(トップランナーより引用)   成海璃子さん、今、この番組で知りました。トーク番組は、シナリオがないので、ご本人の人となりが、なんとなくわかるものです。確かに、おもねらない自然体であり、大人びてます。幼稚園や学校で、周りが元気すぎて、ポツンとしてしまう子だったと話されてました。さめていると感じられる容姿ですが、実は「心の中では、熱い人間でいたい。」というコメントが印象的でした。

トップランナー
http://www.nhk.or.jp/tr/2008album/090202.html