生きているかぎり、些細なことでも挑戦し続けること、そんな思いを強くしました。以下、番組の内容の列記です。

クラーク記念高等学校(通信単位制)の校長になったのは、不登校の生徒に、無限の可能性を持っていることを自覚してもらうため。「体験そのものが、先生になる。」
三浦さん自身が、「ひきこもりの元祖だった。」と述べられている。
2008年、二度目のエベレスト登頂により、後ろ姿を、生徒にみせた。

スキー合宿を行い、全員で登ることで、なにかが変わった。
教育は、生徒の持っているものを引き出すこと。
「自然の中に飛び込め。自然が何かを教えてくれる。」

三浦さんが、子供の頃、転校の繰り返しだった。落ちこぼれ、病気にもなった。父親の誘いで、山を登り、復活するも、浪人した時、ひきこもりとなった。
しかし、今度は、母親から、何にでもなれると励まされた。
「つらいこと、くるしいことから、あきらめない。」
「運をつかむには、努力しなくては。」
「一番、大事なのは、やる気。次に、体を動かす。」
「くよくよしたら、体を動かしてみる。」

来年、80歳でのエレベスト登頂を目指し、トレーニングに励む。
成功しても、失敗しても、がむしゃらな背中を、みてもらう。

冒険家 75歳エベレスト挑戦記
クリエーター情報なし
実業之日本社

文学は、問題の提示であって、その解決ではないという考え方を受け入れないと、今回のテーマを、身近なものとして感じることは難しいのかもしれません。以下、番組内容の列記です。

今から100年前の戯曲、かもめ。

「人生を楽しんでいるか。苦しんでいるか。」

「人と人の間には、ある程度の距離がある。」

「人生は、悲劇なのか喜劇なのか。」

人と人との間のすれちがい。
人間というのは、本当はわかりあえないのではないか。
→ それを前提に、それでも、相手と語ることをやめないこと。

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自分さがしについて

チェーホフは、ロシア革命の前の不安定な時代に、自分を見失い、探しまどう人々を、するどいまなざしで、みつめた。

社会がしっかりしていると、自分のアイデンティティも安定感があった。
しかし、このレールを走っていれば安泰だというものがない時代。(今の日本社会も、似ている。)

登場人物、ニーナの言葉。
「大丈夫。泣いたほうが楽になるから。」

価値がゆらぐ時代に人は、どう生きたらよいのか。
登場人物は皆、社会とのギャップを感じ、自分に満足していない。

100分de名著
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/15_chekhov/index.html

チェーホフ『かもめ』 2012年9月 (100分 de 名著)
クリエーター情報なし
NHK出版


かもめ (集英社文庫)
チェーホフ
集英社
番組「仕事学のすすめ」より、冒険家の社会的貢献が、よくわかる内容でした。以下、その内容の列記です。

スキーに専念したいため、大学の研究所を25歳でやめる。しかし、その後、アマチュアスキー界から、永久追放の宣告。
1966年、富士山をスキーで、直滑走に成功。(時速170km/時を、パラシュートをブレーキに、滑走。)
「人間が夢をかけて、命を超えても、やるんだという勇気と覚悟。そして、複雑なプロジェクトをやり通した。」
→ 「逆境は、まったく新しい扉を開くチャンスでもある。」

そして、資金が当時3億(今で30億)となった、エベレストのスキー滑走。
まさに、ベンチャービジネスだった。スポンサーがつくかつかないかは、社会的にどんな意義があるか、その時代のニーズがあるかということ。

「時代のニーズの上に、冒険は成立する。」

60代は目標を見失い、暴飲暴食、かつ運動不足だった。→ 改心し、2003年、70歳で、エレベスト登頂。(年齢と、メタボに打ち勝った。)
「どん底からの挑戦を、おもしろがれ。」

80歳での冒険(ベンチャー)は。 →これからの高齢化社会で、人間は、まだまだ、いける。日本の高齢者が元気で健康になれば、もっと、幸せに生きられるはず。

「人間の遺伝子の中には、冒険心がある。」

「旅など、日常から離れた行動が、体の刺激になる。」
「先月、内戦中のシリアで銃弾に倒れたフリージャーナリスト・山本美香さん(享年45)。新聞記者だった父親の影響を受け、ジャーナリストを志し、16年にわたり紛争地を取材し続けた。600本を超える取材テープから見えてくるのは、戦場を取材しながら、徹底してそこで生きようとする市民にカメラを向けていたことだ。」(クローズアップ現代より引用)      山本美香さんの志の高さに敬意を表します。人のために自分の身を投じる尊い精神を、神が存在するならば、ミッションとして、いつの日か成就する日が来ることを願わずにはいられません。以下、クローズアップ現代の番組内容を列記です。

「この瞬間にも、大切な命が奪われているかもしれない。」
シリアで、そこで、暮らす人々の姿を追いかけていた山本さん。
弱い立場の人々の姿が記録されていた。
そして、山本さんが恐怖と怒りに震えていたこともわかってきた。
1カ月前、政府軍と反政府軍との激しい内戦。その中で、家族を失い、傷つき生きる人々を伝えていた。
お父様の言葉。「(美香は、)一途でした。思い込んだら、命がけだった。」
伝えることによって、戦争が早く終るかもしれない。拡大を防ぐことができるかもしれないという思い。

16年間に渡り、700本のビデオテープが残った。
アフガニスタン、イスラム原理主義の中、抑圧される女性たちの姿を追った。「私たちの姿を世界に伝えてください。」と言われた。
イラク戦争、バグダッドでのアメリカ軍の空爆により、目の前で、一人のジャーナリストが死亡した。
「目の前で死にゆくカメラマンの姿を見て、動揺した。死ぬのは、私だったかもしれないと感じた瞬間に、恐怖が支配した。」しかし、山本さんは、この後も、取材を続けた。
「指導者の一言で、人の命が左右されるのだ。命の価値に違いはないけれど、どんなに死に方をするかには意味がある。イラクの普通の人々は、ある日突然、命を奪われてしまうのだ。アメリカの大義のために。」
ともに行動した佐藤さんの言葉。「彼女は、ものすごい怒りがあるわけです。伝えなきゃいけない。もっと、やらなきゃいけないと感じた人じゃないかと思います。」

今年、8月にシリアへ旅立った。「外国人ジャーナリストがいることで、最悪の事態を防ぐことができる。」というメモ書きを残して。
シリア政府軍は、ジャーナリストに対して、容赦無く攻撃。すでに4人の犠牲者がでていた。それでも、その中で、山本さんは、女性や子供の姿にカメラを向けていた。 →殺し合いが行われている街の中でも、尊い人々の営みがあることを、なんとか伝えようとした。そして、山本美香さんは、突然の発砲を受ける。..........
お父様の言葉。「美香は、もっとやりたかった。争いのない世界を、あるいは罪のない人が、どんどん殺されていくこの世界を変えたいという思いを持っていて、もっと、もっと、続けてやりたかったはずなのに。」

最初から使命感があったわけではなく、人が死んだり、生きていたりしている究極の現場をみて、立ち会った者の責任を感じたのではないか。自分はなぜここにいるのか。ここにいることを世界に伝えることができれば、それが自分の役割だと感じたのだと思う。

「人間は、過ちを犯すもの。しかし、希望を失ってはいけない。」
 →生きていてよかったという世界を作って欲しいという思い。

クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3249.html

世の中への扉 戦争を取材する─子どもたちは何を体験したのか
山本 美香
講談社

今年、81歳となる高倉健さんが、少しも高齢にみえないのは、たゆまぬ体力維持のための自分対する厳しさだけでなく、感受性を豊かに持ち続ける努力もあるのだと感じました。高倉健さんが、高倉健さんであり続けようとする姿は、「俳優は、プライベートを見せるものではない。」という言葉からも伺えます。

何よりも大切なものは、自分の心をよぎる本当の気持ち。
こみ上げてくるものが、本物ならば、自ずと、にじみ出てくると高倉は考える。

「一度きりを、生きる。」 →本番は一度だけ。
「生き方が、芝居に出る。」
「気持ちは映る。」 →大仰な演技ではなく、感性で表現する。

「僕の中に、法律があるとしたら、おふくろ。はずかしいことは、するなと言ってる。」


プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0908/index.html
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0910/index.html