体力はないが、知力ある者は、頭を使え。
知力もともにないものは、心を使え。
心も貧しい者は、神の声を聴け。

「幸いなるかな、心の貧しき者」という有名な聖書の言葉がありますが、自分の力では、どうにもならないこと(特に仕事)が、向こうからやってくる時、そして、それから逃げられない時の踏ん張りどころは、どこにあるでしょうか。たとえ、その場しのぎで耐えてでも、逃げるわけにはいかない時です。自分の力があてにならない時は、拠り所を求めましょう。道は、必ずあると信じて。(昨日、これで、持ちこたえました。)
「戦後世代に「帰って来たヨッパライ」や「イムジン河」「あの素晴しい愛をもう一度」などの曲は、経済的豊かさをひたすら追い求めてきた社会への反発と、自己を見失いがちだった人々への連帯を感じさせた。...加藤さんらは、ベトナム反戦で盛り上がったアメリカのフォークとも一味違う日本のフォークを切り開いた。軽妙な風刺。クルセダーズの解散後はサディスティック・ミカ・バンドを結成して海外にも進出し、後に続くYMOらの先駆けとなった。」(岐阜新聞より引用)    この記事を見た時は、ショックでした。何ヶ月か前に、テレビに出演されていて、とてもお元気にみえました。ある程度の年齢になって、貴重な経験と実績を重ねてこられた方の最期とは、あまりにも、悲しい。心痛な想いです。北山修氏の哀悼の記事が、今日、掲載されてました。「もはや、あの人懐っこい笑顔が見れないかと思うと本当に心が痛む。...しかし、昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてそれを食い止めねばならなかった医師として、友人として、実に無念である。」(朝日新聞より引用)

岐阜新聞
http://www.gifu-np.co.jp/column/yoki/yk20091019.shtml
名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」、今、聴くと泣けます。
http://www.youtube.com/watch?v=gY4G_G2pyRo&feature=related
もう1曲、「悲しくてやりきれない」
http://www.youtube.com/watch?v=68LFW_lnu1A
今日は、ぶらぶらと、散歩していたら、3時間ほど、歩いてました。1万歩は、いったでしょうか。実は、定期健康診断の結果がきまして、再び、ダイエットを決意。今度こそ、固い決意です。すきな甘いものを断ちます。そして、とにかく、歩く。歩けば、心にひっかかってる嫌なことも、忘れるというものです。20年ぶりに立ち寄った場所に地域猫が5、6匹いました。カメラでパチリと、しばらく、猫と遊んでました。それにしても、今頃の夕方の日差しと、風は実に心地よいものです。
「誰かに好かれる努力をしても、相手が振り向いてくれないと、一気に嫌になる。仕事でも、うまくいかないと、ぱたっと努力をやめてしまう。これらはすべて「ゼロイチ思考」です。....コンピュータでは割り切れない、そのあいまいな部分をどうやって自分の頭で考えて進捗を図り、折り合いをつけていくか。それこそが人生の醍醐味があると感じています。」(「朝日新聞be 勝間和代の人生を変えるコトバより)    今の世の中の会社は、コンプライアンス(法令順守のみならず、社会的倫理も)が、重視されるようになってきているため、規定やルールを厳格に決め、それにきちんと従うことを要求される流れになってきてます。しかし、現実の実務の仕事は、矛盾だらけの中で、じつに厄介なものです。つまり、相矛盾することを、自ら納得しないまでも、そこを突破する処世術を身につけることが、働きやすさにつながると読みました。(「ゼロイチ思考」は、非常に論理的に展開が容易で、わかりやすい。でも、使い方が難しいのです。)
父、兼続に、息子の竹松が言います。「父上も泣かれたのでございますな。もみじの下で。おじじ様がお話しくださいました。父の愛を疑ってはならぬと」息子でありながら、父の後を継ぐことが叶わない不条理は、父である兼続も、同じような過去があったというくだりです。私も、疑うこととは少し異なりますが、学生の頃に、父を受け止めることができない、そんな時がありました。自分も苦労して、はじめて、親の気持ちに気づく後手が続いてます。

「天地人」サイト
http://www9.nhk.or.jp/taiga/topics/pick-up16/index.html