「私たちは、「話しすぎた」ということはあっても、
 「聞きすぎた」とは、めったいいません。
 それはきっと、私たちが、悩んだときや困ったとき、嬉しいときなど、
 なにかと話を聞いてほしい生き物だからなのかもしれません。」(竹内 義晴氏のブログより引用)

日頃、あまり話さない私でも、「話しすぎた」と思うことがあります。相手に不愉快な思いをさせたのではとか、墓穴をほったとか。でも、そんな、私のたわ言を聞いてもらうだけで、気持ちが落ち着くものです。だから、相手がいっぱい話したい時は、きちんと耳を傾けて、受けとめたいものです。

「ここで、「がんばる」という言葉の時間軸を意識してみましょう。
 「がんばったね」(過去)
 「がんばってるね」(現在)
 「がんばってね」(未来)
 つまり「がんばってね」は、
 これからやること(未来)を後押しする言葉なんです。
 一方、「がんばったね」「がんばってるね」は、
 これまでやってきたこと(過去)、
 いまやっていること(現在)に対する、評価やねぎらいです。」(竹内 義晴氏のブログより引用)

「がんばれ」とか「しっかりしろ」って、よく言われ続けましたが、「がんばったね。」とか「よくやった。」とは、私のような、いい年になって言われることは、まず、ありません。だから、その機会がきたら、タイミングよく、「がんばったね。」と言えるようになりたいと思います。

竹内 義晴氏のブログ
http://blogs.itmedia.co.jp/takewave/
10年以上前の曲ですが、その当時、この自由奔放な歌詞は、理解し難いものでした。最近、ちょっとしたきっかけで、改めて、聴いたのですが、言葉では表現しがたいのですが妙に感動し、この曲は名曲ではないか感じたものです。平松愛理さんの女性特有の感性は、男には本当は理解できないのだと思うのですが、その生活観あふれる現実と、イリュージョンを、イリュージョンのまま受け入れて欲しいと考えると、このユニークで刺激的な歌詞が心の隙間にスッと入ってくるのを感じました。こんなこと、言われてみたいかって?もちろん、言われてみたいです。

「いつわらないでいて、女の勘は鋭いもの
 あなたは嘘をつくとき 右の眉が上がる
 あなた浮気したら うちでの食事に気をつけて
 私は知恵をしぼって 毒いりスープで一緒にいこう
 ....
 もし私が先立てばオレも死ぬと云ってね
 私はその言葉を胸に 天国へと旅立つわ
 あなたの右の眉 みとどけたあとで」
     (作詞、作曲:平松愛理 「部屋とYシャツと私」より引用)

部屋とYシャツと私、聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=re3PzspwEWo&feature=related

P.S.
もっと、売れていいと思うバンド。
チェロを入れる異質のポストロックバンド「のあのわ」、これ聴いて、明日、元気に出勤しましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=1p76obJc7c4&feature=channel
http://www.youtube.com/watch?v=PQiEZeG-5kA&feature=channel
http://www.youtube.com/watch?v=4a4N_4jp68c&feature=channel
仕事に専念し、週末を迎える頃には、感受性が鈍ってきているのではと感じることがよくあります。それだけならまだしも、自分らしさが失われていくような焦燥感を感じてくるとかなり問題です。もちろん、会社でも人とコミュニケーションとるためのKYは必要ですが、感受性よりも、職場では論理的な思考を求められているためか、右脳があまり働いていないものと思われます。だから、はまるかのような仕事に対する過剰適用傾向は禁物ですし、適度にリフレッシュすることを意識的に行うことが大事かと思います。さて、何をしてリフレッシュするかは、人それぞれによるところであります。

P.S
オリンピックは本来の開催精神からしますと、「参加することに意義がある」ということであり、メダルの数よりも、その競技の姿勢に賞讃を贈るものだということをどこかで、聞いたことがあります。しかし、バンクーバーでの日本勢は、一生懸命、頑張っているのでしょうが、どうしても、結果を求めてしまいます。メダルの数で、国の国力が反映されているかのような雰囲気にもっていかれるのも、仕方がないような気もします。(浅田真央選手に金の期待が、どうしても。)
「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児、坂本竜馬の大河ドラマ、見逃がせません。
北辰一刀流、千葉定吉は、竜馬に問います。「黒船に剣で、かなうか?」竜馬は答えます。「剣でかなうかどうかは、...この坂本竜馬自身の問題ですけけぇんに!」千葉定吉は、満足そうに「ハッ、ハハ、(そこまで、わかるのに)時がかかったのう。」竜馬は、剣が単なる道具でなく、自分が何をすべきか、なにをしたいのか、無の境地まで追い詰めて、つかむための心の道しるべである事を知ります。

修行も、ひと段落し、土佐に帰る前に、お佐那様と、また必ず会うことを誓い、ゆびきりをします。「戻らなかったら、針千本、ほんとに飲ませますから!」と目を潤ませながら、言うお佐那様、美しいです。

さて、第7話から、貧乏の辛酸をなめている岩崎弥太郎と、攘夷派の武市半平太の口論に、割って龍馬は、言います。「黒船は海をゆらして、走るぜよ。おのれをまどわす敵は、実はおのれの心にあるっちゅうことじゃ。エゲレスやロシアを眼の敵にする前に、この日本(にっぽん)を守ちゃることですよ。」このことから金儲け主義や攘夷に対して反対の姿勢を示したことがわかります。

自分のあり方について、悩み、追求し続けた竜馬が、ある道筋をつかむ山場のくだりです。
土佐の海辺にて、砂浜に世界地図を描く、竜馬。しばらくして、はっきりと言います。「父上、答えがみつかりました。黒船を作ったらどうするか。」父、八平が待っていたように「おお、聞かせてくれ。」竜馬は「黒船を海に浮かべてわしは、一家、皆を乗せたるじゃ。ほんで、世界を、見て、まわる!....アメリカのヌーヨーカーちゅう街はどんな街かのう。プレジデントという人にも、会ってみたいぜよ!」八平、「おまえは、そんなことを考えちょったか。」竜馬、「はい。」八平は、やっと声をしぼりだすように、遠い地平線を見つめて「楽しそうじゃ。みんなで、、いくぜよ。こんな、嬉しい日は、初めてじゃ。」八平が息をひきとったのは、この日から、まもなくでした。夢想家と思われようと、人をひきつける力と世の流れを把握する先見性を併せ持つ竜馬の姿、そしていくばくもない父、八平の息子を想う気持ち、このシーンは感動ものでした。

坂本竜馬伝
http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/
心が折れそうになる。
そして、歳とるほどに、感情の高まりが激しくなるのは、どうしたものだろうか。
みっともなくも、メガネをはずして、涙や鼻水をぬぐっても、ぬぐっても、止まらない。
(きっと、心の傷があって、そこに触れてしまったのだと思う。)
僕は、あまりにも、弱い。よく、ここまで生きてこれたと思う。