「ニューヨークを拠点に、世界中の観客を魅了するデザインを生み出し続ける石岡瑛子。常に3つの言葉をマントラのように唱えながら仕事に向かう。誰にもまねできない、革命的、そして時代を超えるデザイン。数々の栄誉を手にしてきた石岡だが、それでも決して守りに入らず、高い理想を掲げて挑戦し続けている。」(プロフェッショナルより引用)    ニューヨークで活躍する石岡瑛子氏は、71歳と思えないほど、エネルギッシュでポジティブです。転機は40歳に訪れます。日本ですでに一流になっていた石岡氏でしたが行き詰まりを感じ、当てのないニューヨークに飛びだしました。映画に使われる衣装が評価され、それ以来、30年、走り続けてます。コスチュームというより、見たこともないキャラクターを作るよう心がけているとのこと。

・モチーフからイマジネーションが広がる。 →脳の引き金を引く。
・圧倒的な本物を目指して、
・自分のすべてを燃やし尽くす。

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2011/0214/index.html
へとへとに、疲れて帰宅して、ここで、耐えて踏ん張るのが大事だと思ったり、少しぐらい、自分に甘えて、力を抜くのも、一考かと思ったりする。さて、この場は、どちらが賢明だろうか。
偶然に、クィーンのアルバムを聴いていると、今までさほど感じなかった曲が、妙に心にはいってきます。年をとったからでしょうか。1976年の曲で、歌詞の一部を日本語で歌ってます。フレディ・マーキュリーといえば、今、カップヌードルのCMにでてますね。まだ、45歳の若さだったのに、本当に惜しいアーティストを亡くしました。

Teo toriatte konomama iko
Aisuru hitoyo
Shizukana yoi ni
Hikario tomosi
Itoshiki oshieo idaki

手を取り合ってこのまま行こう
愛する人よ
静かな宵に
光を灯し
愛しき教えを抱き

When I'm gone they'll say we were all fools
And we don't understand
Oh be strong don't turn your heart
We're all you're all we're all for all for always

僕がいないときに彼らは僕らが愚かだと言うだろう
そう、僕らにはわからない
ああ、強くなるんだ、心変わりしないように
僕らは全て、君が全て、僕らはいつだって全てのための全てさ

Let us cling together as the years go by
Oh my love, my love
In the quiet of the night
Let our candle always burn
Let us never lose the lessons we have learned

時が過ぎ去るままに抱き合っていよう
あぁ、愛しい人よ
夜の静寂に
僕らのキャンドルを燃やしつづけよう
僕らが学んだ教訓を失わないように


(Teo Torriatte(Let Us Cling Together),Queen,Songwriters: Brian May)

Teo Torriatte、聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=zbT-kn2Yidc&feature=related

今、テレビで耳にする曲は、こちら。I Was Born To Love You
http://www.youtube.com/watch?v=uMGjN8-9IG0&feature=related
「「かもめ食堂」「めがね」で日本映画界に新風を吹き込んだ映画監督・荻上直子。....荻上映画に共通する、独特の空気感とおいしそうな食事シーン、そしてほぼ全ての作品に登場する女優・もたいまさこ…。そのこだわりの世界を、荻上が語り尽す。」(トップランナーより引用)
気になった言葉を、列記してみます。

・映画の中によくでてくる食べるシーン。「人と人との距離を縮めるのは、ごはんだと思う。」
・「家族との食事は、つかの間の、はかない幸せ。」
・「手に入らないものばかり欲しがる。」

(「かもめ食堂」「めがね」、いつか観たいと思ってます。)

トップランナー
http://www.nhk.or.jp/tr/2010album/110122.html
「院内学級とは、病気やけがなどが理由で学校に通えない子どもたちのために、病院の中で授業を行う施設だ。副島は、ここで勉強を教えると同時に、一つのことを大切にしている。子どもたちの不安や心配を解きほぐすことだ。病気の子どもたちの中には、病気になった自分を責めたり、否定的になってしまう子が多いと副島は言う。自分の看病のために走り回る両親や兄弟を見て、自分が迷惑をかけていると思い悩んでしまうのだ。副島は、そんな子どもたちの心を察知し、「もっと自分を大切にしていいよ」というメッセージを送り続ける。」(プロフェッショナルより引用)    副島賢和氏は、駆け出しの教師の頃は、得意の体育で学級をひっぱる熱血教師だったそうです。しかし、29歳の時、重い病気と5年間闘い、激しい運動ができない体になり、やりたいことができなくなっていく怖さで、自分の将来が見えなくなっていたとのことです。その頃、ふとしたきっかけで、院内学級の存在を知り異動を申し出たそうです。院内学級で、一人の少女が、「私がもし、大人なったら、詩人になりたい。」という言葉を聴き、大人になることさえ、約束されていない世界に衝撃を受けたとのことです。そして、難病と闘っていた宮崎涼くんとの出会いが、副島氏を大きく変えました。人前では、いつも明るい涼くん。沈んでいる子がいたら、なぐさめることもなく、ちゃんと、その子のそばにいる涼くん。12歳でこの世を去った涼くん。

「-ぼくは幸せ-
 お家にいられれば幸せ
 ごはんが食べられれば幸せ
 空がきれいだと幸せ

 みんなが
 幸せと思わないことも
 幸せに思えるから

 ぼくのまわりには
 幸せがいっぱいあるんだよ
        宮崎涼くん作」

涼くんが、病気で、すごく苦しんでいることを知っているから、それでも幸せだと書いた涼くんの気持ちとともに、副島氏は、今も歩いています。
副島賢和氏にとってプロフェッショナルとは、「そこにいること、あることの大切さを知っている人、あたりまえのことを、あたりまえに行える人、目に見えないものも、しっかりと受けとめることのできる人」

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2011/0124/index.html