僕には、お気に入りの、うどん家が近くにある。
この街では、きっと、もっとも、のどごしの良いうどんであり、
すっきりとした、味わいのだしがきめてだ。
君が、ここのところ、「寒いからうどん、食べよっ」て、
いうので、毎週のように食べるはめに。
15時ごろ、言ったら、お店のおばちゃんから、
「今日は遅いねえ」と言われた。
いつもは、ごぼう天うどんなのだが、
今日は、ヘルシーに、わかめうどんにした。
だしに、海の味がした。
「礼儀を知らない人はよい人間関係を築けない。そのため人は礼儀を学ぶ必要があるとアランは言う。アランは礼儀とはダンスのようなものだとした。」(100分de名著より引用)    仕事でもプライベートでも、一番、頭を痛めるのは人間関係ではないでしょうか。我ままな私としては、耳の痛い言葉ばかりです。

幸福な人間関係とは、「礼儀正しさ」にある。
・堅くなったり、独りよがりにならず、相手も自分も自然体でいられること。
・自分の感情をコントロールした上で人とつきあう。
・ダンス様式のようなもの。人間関係をフェシングのように微調整していく。

「悲しんではなるまい。期待を持つべきなのだ。人は自分の持っている希望しか、人には、やれないものだ。」
「信頼こそ、すばらしい妙薬である。」
「自分のことを考えるな。遠くをみよ。」
「人間関係のなかで相手に期待しうる唯一のこと、それはお互いへの本性を認め、相手が自分自身であり続けるのを求めるだけである。その人があるがままの姿であるのを望むこと、それが真の愛である。」

100分de名著
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/07_bonheur/index.html#box01
今まで、ある程度のスピードで、できていたことが、少しずつ、できなくなっていることに気づくのは、悲しいことです。体の中のどこの歯車がくるってきているのか、誰か教えて欲しいと言ったところで、意味のないことです。週末終わりの夜は、全く精神状態がいけません。一層、今の仕事もやめて、全く新しい生活をしてみたいと、現実的にはできないことを思ってしまう。これが若くて一人だったら、真剣に考えてもよいのでしょうが。しかし、今の私には、背中に、いろいろ乗っかってますから。一日の大半を、拘束されたストレスの多い生活を送ってても、それをよしとして食べていくことが先決です。
と、このようなネガティブなことばかり書くと読んでる方も得るものがないでしょうね。でも、私の心の中を吐露すると、この程度のものであることも事実です。
「アランは幸福の例として芝居をあげる。つまらない芝居を見ると退屈する。しかし自分が芝居に出る時にはつまらない芝居でも退屈しない。だから「幸せになりたい人は舞台に上がらなくてはならない」とアランは言う。」(100分de名著より引用)     アランの「幸福論」の二回目です。情念という概念について語られてました。情念とは、喜び、欲望、悲しみのことで、生きている証でもあるのですが、私たちを苦しめる原因ともなりそうです。自分自身から切り捨てたりできない情念とどのようにつきあえば、幸福に近づけるのでしょうか。以下、アランの言葉です。

「情念のほうが病気より耐え難い。
 その理由は、私たち自身の性格や思想から全面的に起因しているように見えるが、
 それとともに打ち克つことのできない必然性のしるし(社会の慣習等)を帯びている
 のである。」
「情念に対しては、私たちは、なす術(すべ)がない。
 というのは、私たちが愛するにせよ、憎むにせよ、必ずしも対象が目の前にある必要は
 ないからだ。
 →つまり、想像の中で膨らんでいく自分の感情。ともすれば、一度、わき起こると、
  自分ではどうすることもできなくなり、私たちは情念に流されてしまうのだ。」
 →戦争が最たるもの。 → 情念の連鎖

情念とのつきあい方とは
「情念は、私そのものであるから、逃げることができない。」

「人間は、情念という荒野を自らの手で、切り開き、耕さなければならない。
 強い意志(オプティミスト)の力によって、そうすれば、豊かな実りを得ることができる。」
「悲観主義は、感情で、楽観主義は意志によるもの。」
「喜びは、行動とともに、やってくる。」 →幸福は行動の中にしかない。
「人間は行動のない快楽よりも、行動に伴う困難の方を選ぶものだ。」
「どんな職業も自分で導くかぎりでは愉快だが、服従するかぎりでは不愉快である。」
「山頂まで登山電車できた人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない。」
 → たなぼた式の幸福は、人は求めていない。
「欲しいものは、すべてそこにある山のようなものだ。
 私たちを待っており、逃げていきはしない。だが、それゆえに、よじ登らなくてはならない。」

100分de名著
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/07_bonheur/index.html#box01
私たちは、前を向いて懸命に生きることを強いられる厳しい現実の中で、日々過ごしてます。だから、何か大切なものを取りこぼしていってしまっているのではないか、そのような心の隙間に、ふと入ってくる曲があります。吉田拓郎氏の1979年の作品で、手嶌葵さんが最近、カバーしてます。この曲を聴いて、同感し泣けました。
(手嶌葵さんのささやくような声の響きがびったりなのです。)

「たとえば僕が、まちがっていても
 正直だった悲しさがあるから、
 Ah...wow wow wow ...流れていく
 静けさにまさる強さは無くて
 言葉の中では何を待てばいい
 Ah...wow wow wow ...流れていく
 ......

 さりげない日々に、つまづいた僕は
 星を数える男なったよ
 Ah...wow wow wow ...流れていく」

(作詞、作曲 吉田拓郎 「流星」より引用)

手嶌葵さんの「流星」、聴けます。(iTunesで買えます。是非。)
http://www.youtube.com/watch?v=lrVlTMdxcPk

CMの「流星」です。
http://www.youtube.com/watch?v=wnMEfUutjkI