ほめることが、苦手な日本人。だから、
「おまえが考える7割をよしとして、ほめてやれ。」

何かを得るには、なにかを捨てる勇気が必要なのでしょうか。
「得るは捨つるにあり。」

「人は変えられないが、自分は変われる。」

末期ガンの方の言葉。(最期まで生き尽くす。)
「まだ、山は降りてない。登っている。」

八方ふさがりに感じる時に、
「決まった道はない。ただ、行き先があるだけだ。」
(行き先さえ、わかっていれば、道は開ける。
 いや、そもそも、道なんてないと思うとリラックスし、心が広がる。)

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0206/index.html
野球界ではサムライ・ジャパンなどとして、日本をアピールする機会が増えましたが、サムライ(侍)、言いかえれば武士について、その本質を知らないものだと思いました。以下、番組の内容の列記です。

宗教教育のない日本で、どのように道徳を養うか。
→ 新渡戸稲造は、武士道や封建制度が道徳心を育んだと気づいた。
武士とは、戦闘を職業とした集団
武士道は、戦士が日常生活の中で行う義務、おきてと定義した。

江戸時代では、支配階級であった武士。
身分が高いゆえに、普通の人間より厳しい義務・論理にしばられるべき。

忠義
忠義は身内への愛情、孝行より上にあるもの。
「個人は、国家のためもしくは、その正当な権威を掌握するもののために生き、また、死なねばならなかった。」(「武士道」より)

忠を目的とする四つの徳目
→ 義、智、仁、信

義とは卑怯や不正を憎しみ、正しいことを行うこと。
→ 勇気がないと義を行うことはできない。

智とは儒学などを学び人間への洞察力を養うこと。

仁とは武士の情け。慈悲の心をもって政治を行うこと。

信とは誠実であること。「武士に二言はなし。」

忠の先にあるものは、自分の名誉。
→ 忠によって、自分の名誉を守り、名誉のためには、死をも恐れないということ。

新渡戸は、なぜ「武士道」を書いたのか。
日清戦争後、日本は世界から誤解されていると感じた。
従って、日本の美徳は世界に通じる普遍的なものだと伝えるため。

100分de名著
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/10_bushido/index.html#box01
少し寒気が緩んだ日曜となった。
雲ひとつない南西の日差しを浴びながら、
ぼくは、しばらくの間、目を閉じ続けた。
冷えきった、その頬に、また、二つの網膜に、
オレンジの優しい暖かさが、じんわりと伝わってくるのだ。
それは、放課後に、校舎から花壇のある庭へ、
飛び出た時の感情を呼び覚ますものだった。
兼好法師が生きた時代は、権力争いのたえない乱世でした。現代社会も、ある意味では乱世に突入しようとしているのかもしれません。そのような中、自分の核となるアイデンティティを持ち続けるにはどのようにしたらよいでしょう。以下、番組の抜粋です。
「兼好は、成功や失敗といった固定概念を嫌った。そして完全なものでなく、不完全なものを愛した。嵐山さんは、こうした柔軟で優しい視線があったからこそ、平凡な日常を前向きに楽しむ余裕が生まれ、世の中の真実を見つめる力を養うことができたと考えている。」(100分de名著より引用)

人生を楽しむコツとは
1.一人の時間を楽しむ
  一人はただ寂しいのではなく、一人を楽しむ。
  しがらみに、とらわれない自由な生き方。

2.優しい目線が自分を救う
  人は不完全であるがゆえに、人間味が増す。

3.「所在なき」を楽しむ
   「つれづれ」とは、心をからっぽにする、何もしない時間。
   
「花はさかりに、月はくまなきをのみ、見るものかは」
 (ものを見る時は、)花の盛りや、雲のない月ばかりを、(そのものの良い時ばかりを)
見るものではない。

兼行は、現実の煩わしさを捨てた人。
矛盾も含めバランス感覚を持ち得た人。

100分de名著
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/09_tsurezuregusa/index.html#box04
グローバル化の波を避けることができない昨今ですが、日本が生き残る道は、その独自性から見出すしかないのではと考えるこの頃です。そんな中、須藤元気さんのパーフォーマンス(芸術?)に、感動しました。

2011年7月10日、ロスで開催されたマイクロソフト主催WPC2011のオープニングイベントに出演した際のパフォーマンスPV。

WORLD ORDER in WPC 2011
http://www.youtube.com/watch?v=W9VtIdUVLt0&feature=related