ストレス社会である日本は、市場規模が縮小する方向にあり、厳しさは増すばかりです。そんな中、セーフティネットの脆弱さに日々、奮闘されている方が紹介されてました。以下、引用と列記です。


「藤藪が行う自殺防止の活動の拠点は、和歌山県白浜町にある教会。この町にある断崖には、飛び降り自殺を考える人が訪れる。藤藪の仕事は、この断崖の近くに設置された公衆電話からのSOSの声に応え、保護することから始まる。」(プロフェッショナルより引用)

最後のSOSに向き合う。
毎年、3万人以上の自殺者をだす日本社会。
そこに、500人以上を社会復帰に導いた藤藪氏。

話を聞く時、まずは、100%信じて聞く。
その人との関係をきちんと作るには、その方がよい。
そして、信頼は小さな約束から。
例えば、「明日、朝、7:00に会いましょう。」

一度、自殺をしようとした人が、立ち直ることは、簡単なことではない。
藤藪氏の堅い決意。
 →どうしても自立不可能な人には、「何があろうと、生涯、寄り添う。」

どんなに頑張っても、人の命には、立ち入れないところがある。
いったい、どのようにすれば、この仕事の重く厳しい責任全うできるのか。...
そして、その人の「ゆれる心」をどう支えていけばいいのか。

それでも変わらぬ思いを留めてきた。
「人生は、きっと、やり直せる。」
「人生は、誰でも何度でも、やり直せる。」

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0507/index.html
1970年代初頭、学生運動が最も盛んだった頃を、私は実体験としては知りません。たまたま、その頃の曲である「生活の柄」を、ハンバートハンバートがカバーしているのを最近聞く機会があり、それ以来、この曲が頭の中をまわってます。私は、この歌の歌詞のような体験はないのですが、これは、人生そのもの歌っているではないかと思いはじめた今日この頃です。だから、こんなに耳に入ってくるのでしょうか。

「歩き疲れては
 夜空と陸との隙間にもぐり込んで
 草に埋もれては寝たのです。
 ところ構わず寝たのです。
 歩き疲れては
 草に埋もれて寝たのです。
 歩き疲れ寝たのですが
 眠れないのです」

(作詞:山之口貘、作曲:高田渡、)

ハンバートハンバートによるカバー、聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=_YB3in5xEC8

高田渡、生活の柄、聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=XcUhACXKx7g&feature=related
プロ野球の世界は、とても厳しい世界だとは想像がつきますが、私のような普通のサラリーマンにも、学ぶべきものがあるような気がします。以下、列記します。

「いいところを、やきつける。」
 →いいときの、フォームをインプットすること。

「10年先を見据える。」

「全力で褒め、全力で叱る。」

「まっすぐ戦う、勇気を持つこと。」
「戦う勇気を持つものだけが、生き残ることができる。」
「練習は本番。本番は遊び。」

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0423/index.html


さて、録画していた番組が溜まっていたので、さらに少しずつ見ています。
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マイケル・サンデルの究極の選択、「許せる格差、許せない格差」

日本では、トップの1%が、全体の20%の富を占有している。
アメリカでは、トップの1%が、全体の40%の富を占有している。

運や偶然による富の取得は、許されない格差に繋がるのか。

所得税と、消費税のどちらが、許せる課税か。

ジョン・ロールズの「無知のヴェール」
誰もが、自分が置かれている社会的立場から、意見を述べがちである。
しかし、その自分の社会的立場から、一歩離れて、相手の立場にたって考えて
みることは、真の答えに近づく。

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クローズアップ現代「ライフログ」

書き留めることによって、感性が高められる。
普通の人生だって、豊かになったと感じられる。
自分で作って、選んだ時間を、自分で過ごす、それがライフログ生活。

クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3180.html
東日本大震災で、いまだ、苦しく不自由な生活を余儀なくされている多くの方々に対して、生きていくことだけで精一杯になっている私は、とても申し訳ないような気持ちになります。自分には何ができるだろうかと、小さな頭で日々、考えてます。以下、番組からの抜粋です。

困窮者の支援、エキスパート、奥田知志氏。
牧師を勤めながら、ホームレス支援の活動では、全国ネットワークを作りあげてきた。

生活の糧を津波で亡くされた方々より、支援物資の中に入っていた絵手紙が、心の支えになっていると聞いた。
その絵手紙には、「生きていれば、きっと笑えるときがくる。」と書かれていた。
→ 食べなければ生きていけないが、それだけではない。この絵手紙の重さを感じた。

人を支える時に、物を渡す以上に大切なことがある。人と人のつながりを作ることだ。
「絆で、心を支える。」

支援の難しさは、受け手が重みに感じてしまう時。
受け手が、支援を受けながら、よい報告ができない時など。

でも、受け手である漁師が、漁を復興したら、消費者に届けるまでの新たな仕事が生まれる。
奥田氏の夢は、そのように仕事作り、仕事のない若い人々に、人の役に立てる喜びを実感してもらいたいという願いだ。

「受け手も、人を支える役割を持つ。」
「かわいそうな人を、ゆとりのある人たちが一方的に助けるというような一方通行の絆な危ないと思うんですよね。絆というのは、本来、支えたり支えられたりという相互性を持たないと、二義的なものになってしまうと思う。ある時には支えるという絆がないと支えられっぱなしというのは、ありがたいけれど、重く辛いものになるのです。」

5人の漁師は自慢の牡蠣を復活させると決めた。
→ 小さな浜での新たな希望。

プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0416/index.html
私は、ファーストフードも好きです。しかし、手作りのお店で、決して高い値段の料理でなくても、気合の入った料理を、たまに食べると、本当に嬉しくなります。おいしいものを食べてもらおうという料理人の心意気が伝わるからです。以下、番組の内容の列記です。

進化こそ、今を生きる者の使命
 → 伝統ある日本料理でも、オリジナルを考えた人が、今いたら、
   今しか、できないことを、その人は、するはず。

「料理とは、理(ことわり)を計(はかる)こと。」

料理とは、精神。
(たとえば、キュウリ一本を、相手に渡すとする。
 割って渡したら、料理になる。そこに、割って食べたら、おいしいですよという
 メッセージがあるならば。)

伝統と革新との狭間で。
 何が、負けているか。 →技術ではない。意識が負けている。
 今を生きる者として、もっとできるという気持ちを、
 どのぐらいのレベルで保てるかという意識。
 明日、変わろう。今、変わろう。いや、この瞬間から、変わろう。

でも、評価されない。
 自分自身の心が、崩壊していく。やりすぎているのか。
 何が、やりすぎているのか、わからない。

考えて、考えて。...
やはり、自分が信じた料理をつきつめるしかない。


マドリード・フィージョン2012に挑む
 アカムツの干物
 今回のテーマは、ひれ、骨、うろこ、身、脂、ゼラチン質、
 そのすべてを最上の状態で提示する。

 日本の知恵を、世界にアピールしたい。
 伝えたいのは、食材に敬意を払う、日本料理の精神。

プロフェッショナルとは、
 何事も、覚悟。
 自分自身が、だした結果でしか、自分を語ることは、できない。
 そういう世界で生きていくという覚悟を決めた人。


プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0409/index.html