「ひとりで
 なにができる、
 と嗤(わら)うだろう。

 しかし、
 なんであろうと
 最初はひとりなのだ。」

 (水滸伝、北方謙三)

自分が仕事で置かれてる位置づけにピタッときました。
モニタリングという仕事は、実務作業ではないという足元の危ういものです。
自分が何をだしていくか、そして、進みが悪くても、くさらずに、
自分で決めた事に誠実であり続けることかと共感しました。
「2003年、第10回電撃小説大賞にて大賞を受賞し、翌年デビュー。その作品の特徴は「ありそうでありえない設定」。斬新な設定の中で生き生きと動く「わかりやすく個性的なキャラクター」達の「極甘なラブストーリー」は、読み始めたら止まらないスピード感を作品に与えている。」(トップランナーより引用)    ライトノベルと言う言葉さえ知りませんでした。元は、思春期の若者向けの軽めの小説をさすそうですが、有川さん、いわく大人のためのライトノベルがあってよいのではとの事でした。代表作『図書館戦争』が、この度、アニメ化されたそうです。活字受難の時代だからこそ、気軽に読める小説は、間口を広める可能性があります。ところで、小説家になる秘訣とは、とにかく、いっぱい、書く事。そして一つの話を最後まで、書く事だそうです。ちょっと、短い話でも、書いてみたくなりました。(やっぱり、妄想癖、必要との事。)

トップランナー
http://www.nhk.or.jp/tr/2008album/080908.html
2、3日前は、言い争いになってしまったけど、
そのおかげか、やっと、少しうちとけたと思っていたが、
また、もとに戻ってしまった。...

今日も、何の会話もなく、ましてや、あいさつもない。
声をかけると、いきなり、きみが胸をつく言葉を返すことが、辛い。
けっして、無関心でいるんじゃないよ。無愛想にしか、見えないかもしれないけど。
本当は、自分が傷づかないように、逃げてる弱い自分、なんて言っちゃあおしまいでしょう。
「宮崎はイメージボードで構想を膨らませ、絵コンテによって脚本化し、アニメーターが描いた原画・動画を自ら手直しする。そして背景美術・色彩設計・撮影など各過程の細部に至るまで自らの色に染め上げる。宮崎にとって、映画制作は「作る」というより、「作らされる」という感覚だという。そこにあるのは、自らを「映画の奴隷」として見立てて、少しでも良い作品を生み出そうとする、全身全霊を捧げてゆくすさまじいまでの気迫だ。ゆえに宮崎は映画に関わる全スタッフに対して峻烈(しゅんれつ)なまでの気構えを求め、またそれ以上のものを自らにも求めていく。」(プロフェッショナル NHKより引用)    引用にあるように、最初にストーリーがあるのではなく、イメージとその他の作業が同時並行なので、全体像は、宮氏ご本人さえ読めない、そんな現場が伝わってきました。「崖の上のポニョ」の製作過程を2年半前から300日に及ぶ(小型カメラによる)密着取材の放送でした。今回の作品に関わるスタッフは350人。CGは使わず鉛筆や絵の具による絵コンテは、17万枚にもなったとの事です。宮氏は6歳の頃に、母親が病気で、寝たり起きたりの生活になり、十分に甘える事もできず、とにかく良い子であり続けるしかなかったそうです。そして、そこから開放してくれたのが、手塚マンガであり、アニメ「白蛇伝」との出会い。そして、興味深いのは、「天空の城ラピュタ」のドーラや、「となりのトトロ」のおかあさん(靖子)、「ハウルの動く城」のソフィーといったキャラクターは、宮氏の母親から出来上がってるとの事でした。従って、作品は、空想から生まれているのではなく、内なる心から生まれていると語られていたのは、とても、印象的でした。「人を楽しませたい」との想い、納得です。

プロフェッショナル NHK
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080805/index.html
 「ちいさなモモにできたこと、それはほかでもありません。あいての話を
  聞くことでした」
  (ミヒャエル・エンデ 「モモ」より引用)

口は一つ、耳が2つあるのは、自分が話す2倍は、相手の話を聴くためだと、どこかで、聴いたことがあります。そうは言っても、話相手と意見がくいちがった時など、自分の気持ちを押し通そうと話続ける自分。それでは、いい関係や、いい結果にはつながらないのだと反省。聞くことは、いつも意識してないとできない事です。