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ノルマンディ上陸作戦の写真と並び称される写真は、スペイン市民戦争の倒れ行く兵士である。
この写真は、キャパの将来を決定づけた写真であり、この写真以後世界的有名な戦争写真家ロバートキャパは、ひとり歩きし、キャパのトラウマとなり、死ぬまでそのトラウマは、キャパの中からは消え去ることはなかった。
この写真については、ライフに掲載されて、すぐの頃からやらせでないかとうわさがあった。
キャパ自身も明確に否定をしていない。パリ時代の友人にもこの写真がフェイクなのか本当の事実を教えずにここで戦った民兵は、自分たちの祖国の歌を口にしながら突撃していった。彼らの気持ちがわかるかとだけ語っているという。
この問題に関しては、20世紀の終わりに、スペインの歴史研究家が、キャパの撮影したモデルを誰か特定し、その人物がキャパの撮影した日に同じ場所で亡くなっていることを突き止めて一応の幕引きはされている。
それでは、なぜやらせを疑われたかというと、この倒れ行く瞬間の兵士が撮られた同じフィルムに撮影された写真に戦死したと思われる兵士が、にこやかな表情でいるシーンが捉えられており、なんらかの演習をしている風景が捉えられていたからである。
演習であると思われるのは、写真が非常に安定した状態で撮影されており、今まさに戦闘状態にある緊迫感に欠けていたことがあげられる。そこでこの倒れた兵士は、キャパの求めに応じて倒れたまねをしたのではないかと疑われたのである。
人が死ぬ瞬間は、写真では撮れないと思われていたからである。まさしく弾にあたった瞬間の写真は、現在の写真技術を持っても不可能であり、キャパの写真は、それだけで奇跡といえる。
一方キャパを擁護する意見では、どれほど民兵の気前がよくてもキャパのために大事な銃を放り出すことはしないだろうということである。当時の銃は、銃身が簡単にずれてしまうので必要以上の衝撃を銃にあたえると銃そのものが駄目になる可能性がある。キャパの捉えた兵士がもし銃をああいう形で放り投げてしまっていたら銃は、使い物にならなくなったという見方がある。
私は、この写真は、やらせでもなんでもなく、民兵の演習を撮影している時に一人の民兵が滑ってこけた瞬間をスナップした写真で、後から雑誌の編集者が偶然みつけて死ぬ瞬間の兵士とキャンプションをつけてしまったのではないかと思う。
だからこの写真は、フェイクでも本当の死ぬ瞬間でもなく、スペインの自由と民主主義のためにたたかった一人の民兵の日常を記録しただけである。
だからキャパは、この兵士が口にしていた民謡をだして、彼の祖国を愛する気持ちを写真として捉えていった記録の一部を単にスクープとして取り上げてしまい、彼を含むスペインの民衆の気持ちは、誰も理解していないことに失望していたと思う。
キャパが後にマグナムを設立し、写真家たちの財産となる写真の権利を守る方向に走ったのは、新聞や雑誌に載った瞬間から人々の忘却にされる数々の写真を大切に後世に伝えたいという思いであったと思う。
この倒れ行く兵士の写真は、キャパにとって、スペインの人々が一番光り輝いていた時代の証明として残したかったものだと感じる。