日本企業は当時のパーレビ政権訪問時に随伴ガスが油田から放出されているのを見て「有効活用しよう」と考え、南部バンダルアバスの地に石油化学プラント建設を決意しました。
総工費は多額となりましたが、一番きつかったのは78-79年に革命が起き工事が完工できなかったことでしょう。貿易保険の上では非常リスクとしての求償を試みています。
イランのマーケットは大きく、この後も日本企業との取引は継続したようです。時間が掛かりながらもLC開設が行われバンクメリの名前は邦銀の間でも知られていました。
現在行われている経済制裁が解除され海峡が解放されることを期待したいです。アメリカ、イラン両国とも何とか合意して欲しいものです。