モスクワから東部に行くには沢山の距離を移動しなければなりません。
ロシア帝国にとって東部をどう扱うかは一つの課題であり続けています。
超音速の旅客機開発が西側で欧州連合とアメリカの競争となっていた時にソ連もツポレフで同様の開発を行いました。
コンコルドの飛行より2ケ月ほど早くtu144が飛行しその形がコンコルドにそっくりだったのでコンコルドスキーと言われました。
コンコルドの技術はagentによりソ連に流れていてツポレフはコピーをしたと言われています。ただこの技術をコピーとは言え実際の航空機に実現できる能力を当時のソ連は持っていたと言うことです。
開発を急いだため航空機の製品化に必要な試験飛行の時間が少なかったと言われ例えばアフターバーナーを使わないとマッハ2が出せなかったと言われています。
1973年の航空ショーではコンコルドが先に飛びそれを上回る飛行を行いたいとの意欲が無理な飛行を行うことになり機体が空中で分解し事故となりました。
超音速旅客機の開発がどのように行われたのか、当時の世界の状況がどんな競争を招いたのか等たいへん興味深いものがあります。
一方ではアメリカのb1b爆撃機は当時アメリカが開発した超音速機に似ている点も注目すべきです。エンジン、爆撃機、弾道弾、宇宙開発は一体となっているものですね。