北朝鮮からの引き揚げ | robert2のブログ

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身の回りのことを自由に書いてみます。食べること、飲むこと が 好きなのでこれに関係すること、段々多くなってきました。

今まで北朝鮮からの引き揚げと言えば五木寛之さんのお話しか知りませんでした。最近このテーマの手記を読む機会があり衝撃を受けました。


以下は私の記憶によるもので正確ではありませんが、いくつかたどってみます。


その1

私は5歳と3歳の男の子の下に乳飲み子の娘を抱えて引き揚げをしていた。

10日くらいたった日だった。私は乳飲み子の娘を木の下に座らせキャラメルを2粒出し、1粒を娘の口に入れ、もう1粒を小さな右の手に持たせた。そして、男の子2人を連れて急いで歩き出した。

5歳の男の子は「赤ちゃんはどうするの」と聞いた。私は「早く歩くのよ」と言って後ろを振り返らなかった。


その2

私は母と5歳の弟、乳飲み子の妹と共に引き揚げをしていた。途中で母は亡くなった。弟と2人で母を葬った。その後、兄弟3人で乞食をして数日を過ごした。ご飯を口の中で良く噛み軟らかくなったものを妹に食べさせていたが、そのままで排泄されていた。母の死後2週間たって乳飲み子の妹も亡くなった。兄としてはどうしようもなかった。


その3

熊本で看護師をしていた私は叔父の世話で日本窒素の社員と結婚した。結婚した翌日私たちは朝鮮窒素興南工場に赴任し、そこで5歳と3歳の男の子に恵まれた。5月に夫が招集令状を受け満州に行った。私はその後8月14日に一人で女の子を生んだ。2週間たった日に引き揚げを開始せざるを得なかった。用意したお金と服、おむつは途中で尽きて、それからは乞食をして38度線を目指した。両手に男の子、胸に乳飲み子、腰にはたった一つの鍋と洗った替えのおむつを下げての逃避行だった。途中子供が病気になった時は看護師の経験が生きた。牛車を引いた北朝鮮の少年に助けられて38度線の川を渡った時は嬉しかった。奇跡的に女一人で3人の子供を日本に帰すことができた。


その他にも悲しい手記が沢山あり一つ一つに涙が出ます。今まで知らなかったのですが良く考えなければと思います。