松山善三氏の訃報を聞いた。

 

享年91歳。1925年のお生まれだという。

 

1925年といえば昭和元年。文字通り、昭和を生きた方だったと言えよう。

 

著名な映画監督、脚本家であり、女優高峰秀子さんの夫君でもあった。

 

こうした分野に無知な私は、寡聞にしてその作品の多くを知らないが、

 

松山善三氏と聞いて、すぐに思い出すのはなんといっても『その人は昔』

 

舟木一夫の3周年記念アルバムとして企画された、心のステレオ<第1集>である。

 

 

『雪のものがたり』と同じく、芸術祭参加作品であり、

 

松山善三作詞、船村徹作曲、舟木一夫歌唱

 

LPレコード2枚にわたる歌と語りで綴られる壮大な歌物語。

 

当時としては、画期的な試みであったであろうし、

 

その後も、これに比すアルバムは無いのではないかと思われる。

 

これは後に舟木一夫、内藤洋子主演で映画化もされた。

 

以前、この第二弾として出された『雪のものがたり』について記した時、

 

http://ameblo.jp/roberia32/entry-11532739502.html

 

『その人は昔』のLPについて、

 

”レコードジャケットの30頁にもわたる

 

こだわりの写真を背景にした中身は、

 

それだけで芸術作品とも言えるものになっている。

 

こちらは、1993年にCD化もされているけれど、

 

ただ、語りや歌詞が綴られただけの

 

真っ白な背景の歌詞カードは味気なく

 

レコードの企画者が目指したであろう世界観には、遠く及ばない。”

 

と書いたけれど、その後、『雪のものがたり』がCD化され

 

それに伴って『その人は昔』も、復刻CD化された。

 

すでに持っていた『その人は昔』は、敢えて買わなかったけれど、

 

『雪のものがたり』の歌詞カードには、カラーでは無いものの、

 

レコードと同じ写真が載せられていた。

 

きっと、新しい『その人は昔』の歌詞カードも同様の仕様ではないかと思われる。

 

物語は、壮大な北海道が舞台。

 

 

テーマ曲が流れた後、宇野重吉さんのあの独特なお声で

 

アイヌの伝説が語られるのも、魅力の一つだ。

 

 

海辺で馬に戯れる純粋な少女と知り合った青年は

 

互いに惹かれあい、都会に憧れ、2人で東京を目指す。

 

それぞれの仕事に励む中で、少女は都会の華やかさに溺れ

 

青年を避けるようになるが、やがてその夢も儚く消える。

 

青年の優しさに次第に心を取り戻した少女は、再び希望を取り戻すが

 

会おうと約束したその日、青年は働いていた工場で大けがを負って

 

病院に運ばれ、約束を果たせなくなってしまう。

 

少女は待ち合わせの場に来ない青年に絶望して大森の海に身を投げる。

 

青年は少女の骨を抱いて故郷に帰るが、また都会を目指し

 

少女の分まで力強く生きていこうと決意する。

 

 

というのが、この物語のあらすじだ。

 

中学を卒業した若者たちが地方から集団就職で上京し

 

「金の卵」ともてはやされた、昭和の高度成長期の世相が背景にある。

 

携帯電話が普及し、連絡手段が手軽になった現代では

 

およそ考えられない筋書きであり、悲劇であろう。

 

まさに昭和のこの時代だからこそ描けた物語と言える。

 

その人は昔 海の底の真珠だった その人は昔 山の谷の白百合だった」 

 

と、この物語の結末を暗示するかのような言葉で始まるテーマ曲は

 

でもその人は もう今はいない

 

と悲惨な結末が述べられ、

 

青年の少女への、今なお消えない思いの丈が語られる。

 

出会った頃の恋人の姿をいつまでも胸深く刻み付ける言葉が

 

朗々と歌い上げられて曲は終わる。

 

私の持っているかつてのCDには記載されていないが、

 

LPアルバムのジャケットの最後には、作詞の松山善三氏、作曲の船村徹氏

 

そして、デビュー当時からのマネージャーであった栗山章氏の言葉が載せられている。

 

 

松山善三氏は、ここで

 

『「その人」には名前がない。「その人」は何処にでもいる。誰の胸の中にも住んでいて

 

不意にあらわれては僕たちを驚かす。』  

 

と記している。

 

作者が鬼籍に入られた今、この歌を聴くと、昭和の悲恋物語でありながら

 

時代の変遷とともに人間が置き忘れてしまった大切な何かを愛おしむ思いが溢れている。

 

山を削り道を造り、科学が発達し世の中には物が溢れ、生活は豊かになった。

 

しかし便利になった人間世界の陰で、山肌は無残に切り取られ、

 

雨水を溜められなくなり土砂は人里へ流れ、家屋を壊していく。

 

人の心の豊かさが消えつつある現代社会への警鐘のようにも思えてしまう。

 

自然との共存が少なからず保たれ、人の優しさを条件で信じることができた

 

かつての時代へのオマージュのようにも思われる。

 

 

自然の中で馬を愛でていた無垢な少女は、都会に疲れ絶望の末に自ら死を選ぶ。

 

今はいない「その人」は、思い出の世界にのみ存在する。

 

その姿が、消えつつある自然の姿と重なりはしないだろうか。

 

深読みしすぎと叱られるかもしれないが、ふとそんな思いが胸をかすめるのである。

 

 

私は北海道は知らないが、自然の姿も映画に残る風景とは趣を異にしているだろう。

 

同じく舟木一夫主演の『高原のお嬢さん』の舞台となった蓼科高原が

 

映像の中に、私の思い出に残る開発前の蓼科の原風景を残しているのと同じように、

 

昭和の北海道の面影も『その人は昔』の映画の中にのみ存在しているのではないか。

 

今でもコンサートで、他の歌とは一線を画して歌われる、このテーマ曲は、

 

聴き手にとっても特別な歌だ。

 

灯りが落とされた舞台に前奏が流れると、

 

天井から照らされるスポットライトの光の中に歌い手の姿が現れる。

 

そして、♪その人は昔・・・♪と、抑えた静かな歌声が響きわたると

 

舞台は照明に彩られ、一瞬にしてその場は海の底となり、

 

百合の花が揺れる高山や、星の輝く夜空となり、

 

北海道の広大な大地を駆ける若駒の群れが目の前に現れ

 

『その人は昔』の世界に、聴く者すべてが誘い込まれる。

 

歌手自らの歌唱力が、そこにいる者を栗山氏がいうところの

 

「メルヘンの世界」に誘っていくことは紛れもない事実だが、

 

この歌の世界観、松山氏の詩の力によるところが大きいことも、また否めない。

 

 

また1人、昭和の華やかな時代を彩った方が逝ってしまわれた。

 

「その人」が松山善三氏、その人に重なるような感傷に浸っている。

 

                     合掌

                                    

 (文中敬称略)