ここからは、一茶の句は『一茶俳句データベース』に拠る。
https://ohh.sisos.co.jp/cgi-bin/openhh/search.cgi
1-1-5.「哉かな」と打消し・否定形
打消しの「ず」
加茂川を二度越さず紙子哉 文化7 かもがわを ふたたびこさず かみこかな
「加茂川を二度越さぬ紙子哉」連体形を使うと、「越さなかった紙子」と単純になるか。切ってひねると、音韻的に背筋が伸びるし、描かれる世界も複雑化する。
「じ」は打消し推量や意思の助動詞なので、寄物陳思の俳句には不向きと考えているが、切字とされている。一茶に「哉」との併用は無かったが、興味深いので。
涼にもはりあひあらじ門の月 文化1 すずむにも はりあいあらじ かどのつき
「打消しの推量」。「張り合いが無い」と言う事情がワカラン。文化1年は翌年にかけて、房総の人々を集約して、月並句会「一茶園月並」を開催して「入花料」を集めつつ、門人を囲い込む「業俳」としての生き方を確定した年である。4月に始めているが、思ったほどの成果は得られなかったか。
旅せよと親はかざらじ太刀兜 文化6 たびせよと おやはかざらじ たちかぶと
「打消しの意思」。文化6年には遺産相続が完了して、柏原の宗門帳に戸主となった。やっと古郷に安定の家や田畑を得て、今までの俳諧行脚に明け暮れする生き方を親に詫びたのだ。
此雨にのつ引ならじ時鳥 文化11 このあめに のっぴきならじ ほととぎす
仏法がなくば光らじ草の露 文政1 ぶっぽうが なくばひからじ くさのつゆ
「仏法のなくば光らじ草の露」ここに「が」を使うか、と率直な感想。
是夜に又は逢れじ闇今宵 文政2 このよるに またはあわれじ やみこよい
娘さとは天然痘に罹り六月に亡くなった。「又は逢はれじ」と悲痛。
神夜にもあらじ一夜にこんな酒 文政7 かみよにも あらじひとよに こんなさけ
「神代にもだます工面は酒が入り」柳多留(川柳)、句意は「人をたぶらかすには酒を呑ませるのが良いが、神代の時代にも八岐大蛇を騙す算段として酒が必要だった」てな感じだが、一茶は「八岐大蛇じゃあるまいに、こんなに酔っ払わせやがって」と自嘲気味に喜んでいる。句友でもやって来たのかも。
月岡芳年
一茶には「じ」を使っても切らない句が圧倒的に多い。例えば
花ちれと申しはせじな夕念仏 文化7 はなちれと もうしはせじな ゆうねぶつ
「な」は念押しの格助詞
雷も焦しはせじな女郎花 文化10 かみなりも こがしはせじな おみなえし
「じ」に引用の「と」が付いた
七草の音に負じと烏かな 寛政7 ななくさの おとにまけじと からすかな
「六日になずなを買い、その夜と七日暁と再度これをはやす」江戸市中の風習から、七草を「はやして」「叩く」風習を表す言葉として、「七草(七種)たたき」「「七草(七種)の囃子」などがある。「七草囃子ななくさばやし 」として歌われる囃子詞には、「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に渡らぬ先に、七草なずな、手につみいれて、こうしとちょう」など様々な伝承がある。「唐土の鳥」は「鬼車鳥きしゃちょう(きしゃどり)」と言われる鳥で、「ふくろう」の仲間とされて、頭が九つのある奇怪な鳥(拾遺記)。鬼車鳥は夜になると飛び回り、人家に入ると凶事があり幼児に祟りをすると恐れられていたそうな。
この鬼車鳥の類を追い払うには、「亢觜斗張こうしとちょう」を書くことになっているが、内容的には、中国古代天文学による二十八宿の中の四つの星、亢、觜、斗、張を指すらしい。
と言うことで、その囃し言葉に負けない「カラス」。一茶の三十代の若い頃はこのような典籍に頼る貞門流も学んでいる。
柳にもやをらまけじと葎哉 文化1 やなぎにも やおらまけじと むぐらかな
「やをら」は「人目につかないように静かにゆっくりと動作をする」。
おとらじと峰拵る小雲哉 文政4 おとらじと みねこしらえる こぐもかな
蒲焼の香にまけじとや梅の花 文化2 かばやきの かおりにまけじとや うめのはな
「とや」は格助詞+係助詞の詠嘆
大津絵の鬼も見じとや暖鳥 文化11 おおつえの おにもみじとや ぬくめどり
「暖鳥」は「温め鳥」、親鳥が雛を羽の下に抱いて温めること。文化11年4月11日(1814年5月30日)五十男に三十女が嫁いで来た。「暖鳥」にはちがいない。
あばら骨なでじとすれど夜寒哉 文化10 あばらぼね なでじとすれど よさむかな
「ど」は逆接の確定条件。一人もんの悲哀。
もふ見まじ見まじとすれど我家哉 文政2 もうみまじ みまじとすれど わがやかな
長女さとを天然痘で亡くすのは1819年6月21日(1819年8月11日)だが、無季の句なのでいつ作ったかワカラナイ。元気なころなら幸せの絶頂だし、病魔に連れ去られた後なら不幸のどん底で、真反対だ。
思ふまじ見まじかすめよおれが家 文政2 おもうまじ みまじかすめよ おれがいえ
「思ふまじ」「見まじ」だから「かすめよ」とゴツゴツしつつ、「おれが家」に収斂する特殊的。これなら、さとを失った後とワカル。「掠む(かすむ)」は「目をくらます」、我家を正視できないのだ。
猫飼ずば罪作らじを雀の子 寛政7 ねこかはずば つみつくらじを すずめのこ
この類の「を」を読むと、「一句ひねった」って感じがする。西国行脚の最中なので、どのような経緯で作句したか。
豈かれじかれじと見しは欲目也 文政1 あにかれじ かれじとみしは よくめなり
「あに」は下に打消し語を伴って、「決して~ない」。「あに」が無ければ推量と読んで問題ない。
「枯れじ」は季語「枯る」の単なる否定形なので「季語」の使い方としてどうなんだろ。でもまぁ結語が「欲目」なので、実態は「枯る」だからいい、ということか。
「じ」に「ま」が被さったような助動詞「まじ」は「べし」の打消しに当たる言葉で、話し手に当然そうなるはずがないとの確信がある。
かくあらば衣売まじを春の霜 寛政7 かくあらば きぬうるまじを はるのしも
「を」のこの言い回しが、俳句的すぎて好きなのだ。「かくあらば」も面白い。
松ならば負まじといふ角力哉 文化3 まつならば まけまじという すもうかな
読み方として、「まくまじ」が正しい。
つぎゝさへせまじとけふは思ひけり 文化4 つぎきさえ せまじときょうは おもいけり
「まじ」は終止形接続なので、未然形に「せじ」ならあるが、「すまじ」の誤記か。
けふは花見まじ未来がおそろしき 文政1 きょうははな みまじみらいが おそろしき
「まじ」は切字ではないが、「今日は花は見たくない」と言い切り感はある。
(続く)
