く新版日本秀句3 一茶秀句 加藤楸邨著 春秋社 新版第一刷 2001年7月

を基礎資料としている。

 

我が門へ来そうにしたり配り餅 文政2年

『おらが春』には、

「 廿七日朝

坊守り、朝とく起きて飯を炊きける折から、東隣の園右衛門といふ者の餅搗きなれば、例の通り来たるべし。冷えてはあしかりなん、ほかほか湯けぶりの立つうち賞翫せよといふからに、今や今やと待ちに待ちて、飯は氷のごとく冷えて、餅はつひに来ずなりぬ。」とあり、続いて掲句がある。

「坊守」とは大黒さんとか寺庭さんとか呼ばれる「お寺の奥さん」のことなので、その奥さんがばったり出くわした一茶に言ったか、わざわざ伝えに来た。

で、この文章からは、腹を立てているのかどうかはワカラナイが、待ち焦がれた餅が届かなかったし、飯は冷え切ってしまったと。「熱いうちに食べろ」と坊守さんが言うから待ったのに、やって来ない、なんだよ、と。

「来そうにしたり」の「う」は、助動詞「む」が「ん」となり、「う」に落ち着いたもので、「来そうに」は「来る」可能性があるということだから、早とちりするほど楽しみだった。一茶はそれなりの自作農だし、お寺さんとは親しい付き合いをしていたのかもしれない。

名月のさしかゝりけり貰餅 文化6年 

一茶家では貰い餅が日常の出来事だったのかも。

 

 

文化15年善光寺の上原文路宛手紙に

衣配天窓数にははづれけり  文政元年

「衣配きぬくばり」とは、平安時代は宮中の正月初めの子の日に目下の者に衣服を与えることだが、後に、年の暮れに使用人や門人などに正月用の衣装を分け与える行事となった。一茶は貰いそこねたらしく、「天窓数あたまかず」に入れなかったようだが、村の風習として庄屋・名主さんとかが企画するイベントがあったのだろうか。銭勘定に細かい一茶を外しては、いよいよひねくれてしまいそう。

ぶつぶつと鳩の小言や衣配 文化4年

この衣配は、江戸でふらふらしている頃なので、贔屓筋からのお歳暮だろう。

 

 

ふるさとや近よる人を切る芒 文政3年

一茶は古郷に馴染めないどころか、自分は仲良くしようと近づくのに、反応は鈍く傷つけられてしまうと嘆く。一茶ももはや58歳である、食うための苦労はしたが、組織で揉まれていないので、妙に幼い。それにしても古郷への執拗な悪口。

ふるさとやよるもさわるも茨の花 文化7年

茨に踏込むから反撃される。

古郷は寒もいごちわろき哉 文化14年

「いごち」は「居心」「居心地」

古郷は蠅まで人を刺しにけり 文政2年

蠅は刺さないので、虻の勘違いだよ、言いがかり。

古郷は小意地の悪い時雨哉 文政4年

文政4年は不幸続きで、一茶の句も乱れる。

 

涼風の曲りくねつて来たりけり 文化12年

一茶は文化11年に結婚し世帯を構えるが、農作業を顧みない一茶には風当りも強かったか。気のせいとも思えるが、天領の村ではなにかとややこしい仕来りもあったのだろう。

 

仰のけに落ちて鳴きけり秋の蟬 文政3年

文政2年(1819年)5月末、娘さと天然痘にて没す。

「仰(あふ)のけに」とは見たままだろうが、中七の「けり」が印象的。一茶の心情は仰向けにジタバタと手足を動かすだけの絶望感で満たされていたろう。

表向きは、詠嘆した後に「いやオレじゃないよ、秋の蟬だ」と強がっているが。

 

今朝のツクツクホウシ、まだ命があったので木に休ませた。

 

衽なりに吹きこむ雪や枕もと 文政3年

「衽おくみ」とは襟から褄までにかけての半幅の布だが、要するに和服の前身頃が重なり合う部分に取り付けられる布だ。これが上方が狭く、末に広がってゆく。

「衽なりに吹きこむ雪」とは、隙間から吹きこんでくる雪があたかも衽のように、台形に積もっている様だ。

文政3年十月十六日、一茶は浅野へでかける途中で中風発作を起こし、駕籠で柏原に帰ったが、幸いに十二月には回復した。掲句はこの療養中の作で、中風後の安静のために寝込んでいるので動けない。その枕元に黒姫山の雪が吹きこむのだ。せつなかったろうな。「枕もと」に一茶の悔しさが込められている。いわゆる一茶調とは異なる佳句だ。

 

羽生えて銭が飛ぶなり年の暮 文政13年

『七番日記』文化13年12月に既出だが、『俳諧寺記』文政13年末に再登場している。

一部を引用すれば、「家の四方をくるみ廻せば、忽ち常闇の世界とはなれり。昼も灯にて絲くり縄なひ、……手足はけぶり黒み、髭は尖り、目は光りて、……。都(すべ)て暖国のてぶりとはことかはりて、さらに化物小屋の有様なりけり。」とあって、この句が出ている。「羽生えて銭が飛ぶ」とはこの「化物小屋」を踏まえてのことのようだ。江戸の暮らしと違って、世帯主として買い掛けをしているので、年末の掛け取りと対峙する経験は初めてか、不慣れだった。

 

今年から丸もうけぞよ娑婆遊び 文政4年

「遊び」は動き回ることで、いかがわしいことではないとしておく。大病から復活した時の、開放感や心の軽快感は、私も二度経験しているので共感できる。

かつて、文化3年には「遊民遊民とかしこき人に叱られても、今さらせんすべなく」と自嘲気味に

また今年娑婆塞げぞよ草の家 文化3年

と詠んだが、「娑婆塞げ(ぎ)」とは、無益に生き長らえて世の中の重荷になることなので、質素な家に住みながらもパトロンの世話にならざるをえない生き様。

 

乙子神社草庵

 

 

(続く)