新版日本秀句3 一茶秀句 加藤楸邨著 春秋社 新版第一刷 2001年7月
を基礎資料としている。
門前や子供のつくる雪解川 文政2年
文政2年から4年までの3年間の句日記である『八番日記』所収で、形式は『七番日記』と同じ体裁。
雪とけて村いつぱいの子供かな 文化11年
「七番日記』に収まるこの句が、いよいよ生活基盤を柏原に置き結婚もしと、一茶の幸せ。見渡す村は平和に子供達で賑やかだ。
で、「雪解川」を子供達が「作る」はずも無いので、比喩である。多分、春になってはしゃぎ廻る子供達はとけ始めた雪に濡れ、びしょびしょになって、まるで川遊びのよう、じゃないかな。相続の件では暴れまくった一茶にも人間らしさが戻って来た。
戸口から青水無月の月夜かな 文政2年
水無月は陰暦6月、「青水無月」とは青々として世界が眼前にあるのだろう。「青き踏む」の「青」ではなくて、「青草(夏草)」の青。ふと戸口に立ったら、目の前には青々とした世界が月に照らされている。「戸口から」に我家を手に入れた喜びが伝わる、この全部が我が物と。
帰庵
笠の蠅我より先にかけ入りぬ 文政2年
一茶は手に入った世間並みの暮らしが愛おしくて仕方ない。どこかの帰りに蠅が道連れになったのだろう、一茶は蠅も嫌いじゃない。わくわく華やかな気分で急ぎ家族に会いたいのに、蠅はそんな心持ちえお気にせずに、さっさと一番に家に入ってしまった。この気持ちはお前もか、と蠅にさえ喜びのお裾分け。
霞む日やしんかんとして大座敷 文政2年
「大座敷」は自作農の一茶の家にあるのかもしれないが、天領である柏原の陣屋の浮世離れしたサイズの大座敷だろう。普段使いはしないので、春の霞立つ日に「深閑と」して、春を拒むがごとく静まりかえる大座敷。
(一茶宅はこの程度)
なぐさみに藁を打つなり夏の月 文政2年
自分の村を俳諧師の視点で見て廻る。「夏の月」なら、江戸暮らしのころには、「端居」をしたり、「夕涼み」したり、のんびりするのに、村の人々は「藁を打つ」のだ。月見さえ、片手間にかもしれない。藁を打てば、必需品の筵や縄、草鞋、草履など作ることができて、買い手がつくこともある。その作業は「収入源」ゆえの「たのしみ」でもあるのだ。
身一つ過ぐすとて、山家のやもめのあはれさは
おのが里仕舞うてどこへ田植笠 文政2年 302
「里」を実家と考えると泣けてくる。自分の田畑を持たざる村人は実家の手伝いを早々に片付けて、どこぞの日雇い仕事の田植えに行くワケだ。粗末な家から出る時には既に「田植笠」で身支度を調えている。握り飯か、藷かなにかしら弁当を持って、近隣の村々を廻るのかもしれない。
余所の子や十そこらにて田植唄 文化15年
こちらでは子供も田植えに引っ張り出され、その子はすでに田植唄をしっかりマスターしている。15歳で江戸へ出された一茶は、きっと自分の10歳を思い出していたろう。
越後女旅かけて商ひするあはれさを
麦秋や子を負ひながら鰯売 文政2年
越後から山里柏原へ、鰯を売りに来る女がいる。海辺からだからかなりの距離を宿泊しながらやって来る。麦秋の褐色に色付く風景の中を歩き通してやって来る。近づいてくるとなんと、背には赤子を背負っている。両手には商いの鰯が。苦労している母親へ一茶の共感は止むことがない。
七十一番職人歌合(中世の歌合)の十五番
蛤売「ひげのあるは、家の恥にてさうぞ ことのほかなるひげのなきかな」 魚売(いをうり)「魚は候 あたらしく候 召せかし」 と口上を述べながら売ったそうな。
五月雨又迹からも越後女盲 文政4年
「ごがつあめまたあとからもえちごごぜ」と読む。五月雨の中を、眼の不自由な女性達が連なって巡業にやってくる。自分も若き日は俳諧行脚の僅かな稼ぎで生きたと、苦労に共感している。
https://www.uta-net.com/song/344894/
石川さゆりさんの唄
心に思ふこと
古郷は蠅まで人をさしにけり 文政2年
15歳から40年近くを暮した江戸には、都会の自由、相互無関心があったが、安住の地と決めた奥信濃の村の暮らしにはなかなか馴染めない。「古郷」の懐かしさや親しさを破壊する。「蠅」を見ても警戒心が湧いてしまう。一茶はすでに「よそ者」となっていた。しかし、一茶にはすでに、小林家を継いでこの村の正規の住人であるとの満足があり自負がある。
盗人、おのが古郷に隠れて縛られしに
業の鳥罠をめぐるやむら時雨 文政2年
前書によれは、だれか罪を犯した者が古郷に舞い戻り身を潜めていたが、結局捕縛される事件があったらしい。
「業ごふ」は前世の行いが現世に報いとして現れるとの仏教語。その業因の果ての「鳥」が何度もこの世に生まれ変わりながら、相変わらず鳥のままに生き、輪廻の罠から逃れられずにいる。降っては止み、止んでは降る繰返しのように。
古郷にも手配書が廻っていると想像は出来ても、古郷へ帰らざるを得ないのだ。共感しながらの深い憐憫の眼差しが一茶にある。一茶は酉年のはずだから、もしかしたら知り合いかも。
蟬鳴くやつくづく赤い風車 文政2年
風車は新春の玩具らしいが、蟬時雨の頃には、どこぞにうち捨てられている。その風車は自分を物思いに誘い込むような赤。幼い子供達を亡くし、自分も中風の後遺症を引きずっている身には、色褪せの赤がさびしく迫る。
疫病神蚤も負はせて流しけり 文政2年
川へ流す疫病神送りがあったようだ。鬱陶しい蚤も同罪とは一茶の世界だ。空想の「疫病神」と現実の「蚤」の対比が面白い。
蚤のあと数へながらに添乳かな 文政2年
赤ん坊に添い寝しながら授乳している妻は、その子の蚤の食われ痕を確かめている。人情味溢れる佳句と思うが、一茶にこのような父性?があるとは発見だった。
『おらが春』には、どこかの子供が持っている風車を(我が子が)欲しがるので与えたら、むしゃむしゃしゃぶって捨ててしまったとか、茶碗を投げてみたりもするが直ぐに飽きて、障子の紙をめくり、破り、またきゃらきゃらと笑ったりしたとか書いている。母は、家事をこなしながら団扇で風を送ったり、泣けば夜でも目を覚まし、抱き起こし、畠に出ておしっこをさせたり、授乳をしたり。でも子供がにこにこ笑えば、妊娠中の苦労も忘れ襁褓の汚れも気にせず、「衣のうらの玉を得たるやうに、撫でさすりて、ひとりよろこぶありさまなりけらし。」と母親にも愛情溢れる視線を投げている。ただ。この句は七番日記文化15年にあるので、「娘さとと母きく」が題材ではないかもしれない。
蚤の迹吹いて貰つて泣く子かな 文化15年
かな留めの一句一章だが、「貰つて」は補助動詞の逆接の意味だろう。「泣く子」から「添乳」へとテーマが変更になり、濃度が上がった。
(続く)





