新版日本秀句3 一茶秀句 加藤楸邨著 春秋社 新版第一刷 2001年7月

を基礎資料としている。

 

 

自像

ひいき目に見てさへ寒き天窓かな 文政元年

「天窓」は「あたま」。鏡で見ると、どう見てもひいき目に見ても、髪は薄くなって、髷の具合も面白く無いのだ。

ひいき目にさへも不形な天窓哉 文政元年

「不形ふなり」とは自虐を楽しんでいるのようだが、ちょっとストレート過ぎるかも。

 

ひいき目に見てさへ寒きそぶりかな (遺稿)

遺稿に残る句で、こちらはよく知られている。「そぶり」などと珍しく気取ってるかも。

 

穂薄やおれがつぶりも共そよぎ 文化8年

相続関連で主張がどこまで通るか、一茶もふと時間が無いと思ったかも。

 

 

めでたさも中位なりおらが春 文政2年

文政2年に始まり、文政4年末まで書かれてた八番日記冒頭の句で、歳旦の句。この句は七番日記にも記載があり、前年に歳旦の句として用意されていたらしい。『おらが春』は七番日記に続く文政2年の一年間分の句と文との手記。

一茶を流し読みしていた昔には「中位なり」がよくワカランかった。漠然と「過不足無し」と考えていた。それもいいのだが、一茶の相続が決着付いた後に

下下も下下下下の下国の涼しさよ 文化10年

と詠っている。江戸と比べて古郷の不自由さだろうが、俳諧行脚で房総のみならず西国まで廻った一茶には古郷柏原が随分と狭く淋しい村に思えたのだろう。それを「下」と。

我春も上々吉よ梅の花 文化8年

我春も上々吉ぞ梅の花とも伝わるが、浮かれ気分になれば「上」と褒めそやし、凹めば「下」と攻撃的になる。苦労人の短絡さがよくワカル。幸せの有頂天でもないし、不満も無いワケじゃないが、まぁこんなもん、「中位」。

真跡(拡大)だそうだ

仁之倉神社 上水内郡信濃町柏原二之倉


こぞの五月生まれたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて

這へ笑へ二つになるぞ今朝からは 文政2年

「めでたさも中位なりおらが春」は仕込みの句だったが、続いて掲句があり、こちらは感動生々しく、祈りさえ感じる。

しかし、加藤楸邨は『(老いたる親のいたいけな子に対する感情)と、詩としてのこの作品の力とは厳密に区別して見られなければ成らない』と、人気はあるが素材故であると、難癖を付けている。理屈はワカルが、評価が低いのは川柳ににじり寄ったからで、一茶調は川柳に取り囲まれていたのだから仕方ない。

塩鰤雑煮

 

ともかくもあなた任せの年の暮 文政2年

『おらが春』巻末の一句で、文政2年5月には長女さとを天然痘で亡くしている。「あなた」は浄土真宗門徒の一茶なら『阿弥陀如来』だろう。自分の無力さを実感した後では、「ともかくも」つまり「他に選択肢もないし」なのだ。二人目の子供を亡くした妻きくを「あなた」と言ったなら、年末の支払いやら村の行事や義務やら、「なんとかしてくれよ」と少し甘え気分で面白いが、二廻り下の妻に尊敬語は使うまい。

ともかくもあなた任せかかたつぶり 文化6年

以前には相続問題に進展がなく、投げやり気味に「任せか」と詠嘆している。

しかし、文政2年暮れの今や、悲嘆と共に詠嘆するしかない。できる限りの看病をした第二子を天然痘で亡くし、

せみなくやつくづく赤い風車

と詠んだ年が暮れようとしている。

 

この年一茶は57歳、平均寿命が50歳に届かないと言われる江戸時代では十分な老人であるが、乳幼児死亡率がべらぼうに高かったので七五三を無事過ぎれば、長生きされた方もいらっしゃる。結局一茶は幼子4人を失い、生き延びた第五子の顔を見ることはできなかった。

 

(続く)