新版日本秀句3 一茶秀句 加藤楸邨著 春秋社 新版第一刷 2001年7月
を基礎資料としている。
涼まんと出づれば下に下にかな 文化14年
御三家の行列の決まり文句に、庶民の不快感を詠った。暑いから涼みに出たのに、ウザいことだと。
加賀守
梅鉢の大挑灯やかすみがち 文化15年
加賀梅鉢の家紋が遠くから見えてきたぞ、でも霞んでるなあ(たいしたことない)と斜に構えた一茶らしい。文化15年は4月22日(1818年5月26日)までの長くはない期間だが、次の文政年間へと続く庶民文化の花開く時代。
迹供は霞引きけり加賀守 文政2年
最後尾は霞がかるほどで、供揃えの立派さに瞠目している。参勤交代は大名が見栄を張るが、道中ずっと「下に下に」と優雅にやっているワケではない。
迹供はかすみのおくや加賀の守 浅黄空
迹供はかすみのかゝるや加賀の守 自筆本
別案もあったようだが、『八番日記』にある冒頭の「霞引きけり」の措辞が一番好き。
づぶ濡れの大名を見る炬燵かな 文政3年
ご一行様はずぶ濡れになりながらも威厳を保たねばならない。一茶はと言えば、炬燵でごろりと寝転がりながら、障子の穴なんぞからぬくぬくと覗き見している。一茶は反体制ということはないが、権力とは無縁に生きた人だ。
荷風のようだな、うらやまし
かしましや将軍様の雁ぢゃとて 文化9年
お成場や人よけさせて雁の鳴く 文政3年
雁どもや御用をかさに来て騒ぐ 文政3年
お成風吹かせて雁の立ちにけり 文政3年
鷹狩りに「将軍様のお成り」と小役人が騒ぐので、鬱陶しくて仕方ないと不愉快なのだ。
市井の庶民感情を代弁しているが、型としての発句は維持されている。
※店中の尻で大家は餅をつき 川柳
大家と店子は親子の関係以上に密接なのだが、店子にしてみれば銭で成り立つ関係で、思うところはある。権力へのささやかな抵抗だ。句中「尻で」が面白い。江戸には近郊の農家へ下肥を売る業者が居て、長屋の共同便所に汲み取りにやって来る。その購入代金は当然大家さんに支払われるでの、店子連中は「オレのナニだ!」といささかやっかみもあるワケだ。
川柳なので切字は用いず、座五を流している。
指さしのならぬ葵の咲きにけり 文化12年
威をかりて信濃の葵咲きにけり 文化13年
江戸ではわかるが、奥信濃とはいえ天領の柏原で大丈夫なのか?
お浸しにならぬ三つ葉の咲きて肥え 逸茶
威をかりて信濃の葵反り返り 逸茶
咲き続く信濃の葵とうに飽き 逸茶
指さしのならぬ葵の葉をむしり 逸茶
※指さしは法度とむしる葵の葉 逸茶 川柳は体言止めも可
※指さしのならぬ葵の高さ哉 逸茶 切字と季語で発句
武士や鶯にまで使はるる 文化10年
武蔵野や雪につくばふお士 文化13年
「武士」「士」は「さむらひ」と読む。鶯役のような職種があったのだろう。雪原に四つん這いになって、何かをする仕事もあったらしい。「宮仕えは厳しいのう、阿呆か」と遊民一茶は己をうれしがっている。化政文化は権力からは遠い庶民が経済力を付けた結果生まれた文化で、狂歌、川柳などで時代を風刺する力はあったが、権力闘争をするワケではなかった。次の天保時代にはお伊勢参りが流行し、江戸を出た庶民をもてなす社会構造も出来上がった。ガス抜きでは済まない程に、幕府の締め付けがゆるり利かなくなってきた。
鳴くな虫直る時には世が直る 文政9年
少し後の文政9年1826年は3人目の妻やをと再々婚するが、最晩年である。
「虫が直る」とは「虫が治まる」、つまりは気分が落ち着くとすると、「泣くな虫」は「イライラするな」ということか。一茶は愚痴ってはいるが、あまり行動しないようだ。今風に「ペンで抵抗する」と言いたいが、そんなヤバイことは考えない人だ。
死に下手や麦も仕つけて夕木魚 文化14年
「麦も仕つけて」とは、初冬に肥料を入れて畝を作り、種を蒔き、土を被せる作業で、年内最後の畠仕事となる。「死に下手」だから老いた農夫である。大仕事が済んだらほっと落ち着いて、仕事終わりには信心三昧だ。のどかな風景であるべきを、一茶は「死に下手」と辛辣な批評をする。権力へ抵抗する人が何を言い出すか、と苦情を言いたいが。代々農民として生き、この先も引き継がせていくことを人生のテーマとしてきた農夫に反撥している理由は、一茶が信仰する浄土真宗では使わない「木魚」のせいだろうか。
人ならば仏性なるなまこ哉 文化7年
仏性(ほとけしょう)と読ませるようだが、意味は仏性「ぶっしょう」と同じだろう。「性」「しやう」は「性質」だが「魂」の意味もある。
この時一茶48歳、相続に決着がつかない頃。「私はなまこに成りたい」と思ったかどうかはワカラナイ。
浮け海鼠仏法流布の世なるぞよ 文化11年
アメノウズメノミコトに反撥した「なまこ」が口を裂かれ、海の底に沈んでしまったとの古事記の記事が念頭にある。
鬼もいや菩薩もいやとなまこ哉 文化11年
「~いや~いや」の繰返しが一茶調と言えそうな。
ほのぼのと明石が浦のなまこかな 文化11年
文化11年4月には有力な農家の娘菊と結婚し、幸せな暮らしが手に入った。
「なまこ海鼠」はついに「ほのぼの」とした存在として一茶の前に現れた。「なまこで一句」とか、上越の海辺の門弟か客筋が所望したのかもしれないが、海鼠に悪い印象は持ってない。
日本海赤なまこ
掛乞に水など汲んで貰ひけり 文化14年
いよいよ年の暮れ、掛け売りの商売人が集金に来た。一茶も忙しかったか、その掛取に水汲みを手伝わせたりしている。借金を取り立てる方は回収できないと半年先のお盆に延ばされてしまうので、下手に出ているワケだ。一茶にしてみれば、払ってしまったら手伝ってくれないからまず働かせて、って気持ちはワカル。江戸での遊民暮しでは掛け取りの経験なんぞは無かったろう。
なにはともあれ、なんだか慌ただしい午後の日差しが見えるようだ。
(続く)




