新版日本秀句3 一茶秀句 加藤楸邨著 春秋社 新版第一刷 2001年7月
を基礎資料としている。
陽炎や猫にもたかる歩行神 文化12年
一茶は「陽炎」を百句以上残しているが、心情吐露はこれが一番。
陽炎の季節は猫の浮かれる季節でもある。「歩行神あるきがみ」は人をそぞろ歩きに誘い出す神だが、夜ごとふらつき歩く発情「猫にも」と、自らのやり場の無い性を嘆いている。蚤虱が「たかる」寄り集まるように、自分にも取憑く。一茶52歳か。
かつて江戸住まいのころは独り者の男が気晴らしをする場所はたくさんあった。しかし、この柏原では村落維持のための文化としての「夜這い」「出会い」はあったかもしれないが、そこには厳格なルールがあり、小金を持ってふらりと、と言うわけには行かないのだ。
岡場所
猫洗ふざぶざぶ川や春の雨 文化13年
歩行神に取憑かれ一晩中外にいた猫クンは、傷だらけ、泥だらけで朝帰りしてきた。仕方ない、奥信濃とはいえ雪解水より少しは温くなった春の川へ抱えていき、ざぶざぶと問答無用と洗った。一茶の「おまえもか」的な生々しい人間味が伝わる。
昼顔やざぶざぶ汐に馴てさく 文化9年
「ざぶざぶ汐」とは波音のようだ。
石川をざぶざぶ渡る雉哉 文化11年
川を渡る時に立てる水音を「ざぶざぶ」と。
露ざぶざぶことしも楽に寝と哉 文化11年
露は人生の儚さを象徴することも多いが。
呑め喰へと露がざぶざぶざぶり哉 文化11年
「ざぶざぶ」を物にしようと頑張っている、きっと。
ざぶざぶと五月雨る也法花原 文化14年
「ほっけはら」に、激しい雨が「ざぶざぶ」降る。
紅梅に干しておくなり洗ひ猫 文化12年
梅の木に晒し者にされている猫も、夜にはまた出かけていくことだろう。一茶は跡継ぎ欲しさに夜な夜な頑張っている時期。
年よれば犬も嗅がぬぞ初袷 文化12年
綿入れから綿を抜いたものが「袷」で旧暦四月一日の更衣から着る。秋には単衣から「袷」。袷から綿入れへと衣を替えていくが、俳句の更衣は「綿を抜く」。その初日が初袷。
「犬も嗅がぬぞ」とは、この頃から既に使われていた「犬も食はない」を下敷きにしているのだろうが、近づかなくても臭気を発するか。一茶の謙遜かも。一茶が菊と結婚したのは文化11年4月11日1814年5月30日なので、文化12年は妻が用意しているはず。この「初袷」は独身オヤジが古着を調整したのとは雲泥の差のはず。
さぼてんにどうだとさがる絲瓜かな 文化12年
新婚の頃は、一物に自信が湧くものなのだ。その勢いで子を成すワケだし。「へちま」はご立派だが、さぼてんだって言い分はある。
青箸としとりといふも今日なりけり
青芒箸になりてもつゆつゆし 文化12年
「青箸あおばし」とは、神棚に供えるた赤飯に添える萱の茎で作られた箸。「青箸の年取」は、北安曇の7月27日に尾花を添えた赤飯を神に供える行事で、翌朝は川へ流すのだそうだ。病魔退散の行事。
一茶は青芒を見て、そういえば今日はと思いついた。萱は刈られ加工されても「露々し」瑞々しいのだ。刈ったり仕立てたりの共同作業には参加していないから、暢気なことを。
結婚もして村のメンバーになったのに、社会性は欠落したままだ。妻菊さんが何から何まで頑張ったそうだ。
わが菊や形にもふりにもかまはずに 文化12年
「なりふりかまわず」働く妻菊への感謝の気持ちの表出、一茶とて情はある。
寝むしろや莨吹つかける天の川 文化12年
菊さんとの結婚は文化11年の4月だ。「吹つかける」とは一茶調であはあるれど、直情的でステキな一句。絶倫一茶は一晩に複数回交わったので、事後の一服か。高齢の一茶は精力剤となる薬草を求めたりもしている。
七番日記では
寝むしろやたばこ吹かける天の川 文化12年
寝むしろやたばこ吹かける女郎花 文化12年
といなっているが、加藤楸邨は「『吹っかける』と読ませたいのだと思う」と書いているので、その表記に従った。その方が新婚さんの勢いがあっていい。一茶はたまに促音便「つ」を記載していない。
次の間の灯で飯を食ふ夜寒かな 文化12年
文政元年の日記には「独旅」と前書があり、ほっとした。新婚さんが女房を女中扱いしてるんじゃないかと心配したが、旅先での出来事のようだ。
宿の仲居さんは忙しいらしく、それなりに整えられた食膳はあるのだが、その部屋にはまだ灯が来ない。仕方なく間仕切り越しの小部屋からの灯の薄暗さの中で食事をしている。暗い食卓は切ない。この旅では思い通りに行かないこともあったのだろうか、夜寒も身に染みたことだろう。一茶に珍しくしみじみとした飾りのない佳句だ。
斯うしては居られぬ世なり雁が来た 文化12年
読んだ途端に「雁が来た」の口語表現に驚いた。俳諧の世界に昇華させることができないほどに、「雁が来た」ことにグッと来たのだろう。その感動と同じほどに、「斯うしては居られぬ世」なのだが、この秋行った江戸で何か俳諧師としての刺激を受けたにちがいない。「斯うしては居られぬ誰か来た」の心境ではないだろうが。
鵙よ鵙びんちやんするなかゝる代に 文化11年
肝心の「びんちやん」が口語と思われるが、意味がワカラナイ。
小林一茶データバンクでは
鵙よ鵙ぴんちやんするなかゝる代に 「ぴんちやん」と書いて
もずよもずびんちゃんするなかかるよに 「びんちゃん」と読ませている。
https://ohh.sisos.co.jp/cgi-bin/openhh/search.cgi
「ちゃん」を唐音の「銭」とすれば、「ぴん」がポルトガル語からの「一(数)」なので、一銭「いちゃん」か。若い女性は「いちゃ」と呼ばれるし、江戸期も一茶の頃になると「淫戯つく(いちゃつく)」との言い方が定着してくるので、その系統の隠語か。口語は残らないので、時代と共に消えてしまうので、想像ですが。
句意は、鵙が平和にいちゃついているのを見て、「かゝる代」に不謹慎な事だと理不尽な怒りを向けている、どんな代だ?。
(続く)


