新版日本秀句3 一茶秀句 加藤楸邨著 春秋社 新版第一刷 2001年7月

を基礎資料としている。

 

 

行く雁や夜もみらるる信濃山 文化11年

相続で手に入れた実家でごろりと横になって、幼い頃眺めて居た頃にはどうと言うこともなかった信濃山を見ている。ふと気づけば、黒々と影になって「夜も見らるる」だ。昼にその山の端を高々と飛ぶ「行く雁」を見ていた、あの信濃山。一茶の心には大きなる安心が生まれているのではないか。

 

一茶の信濃山

八月や雨待宵の信濃山 文政3年

必や雨待宵の信濃山 発句題叢(江戸後期の俳諧集)

寒にも馴て歩くや信濃山 嘉永版

嘉永版;一茶発句集嘉永版は、嘉永元年(1848年)に、善光寺大門町蔦屋伴五郎と江戸の東都書林山城屋佐兵衛が、文政版を増補して共同刊行したもの。

雪ちるやおどけも云へぬ信濃山 文政9年

雪ちるやおどけも云へぬ信濃空 文政2年 

後に「信濃山」となったが、「雪ちるや」と切るので、「おどけも云へぬ」と連体形で「信濃山」や「信濃空」が来る。この時、「山」に向かって言うより、「空」に向かって言う方が虚空へ吸い込まれて感じで、降り止まぬ雪に相応しい気がする。なので弄らない前の『信濃空』が良いと思う。

奥信濃では雪が舞い始めればすぐに長く暗い冬が始まる。「おどけも言へぬ」は時々耳にする「冗談言っている場合じゃない」のようなことで、青空は消え重苦しい雪雲が覆う空こそが、「信濃の空」なのである。

雪散るや我が宿に寝るは翌あたり 文化3年

佐原から流山にかけて歩いた時の句で、仮の宿りが続いて、それを商売にする一茶とて疲れたのだろう。雪がちらつくと、ふと塞ぐ気分になるらしい。

 

 

年代未改

銭出した程は涼しくなかりけり 文化11年

江戸暮らしの記憶を引っ張り出している。なんでもかんでも「銭」とは、今とあまり変わらないようだが、田舎育ちの長閑さは都会にはない。一茶はこの損得勘定、銭がらみの解釈が、雅であるはずの俳諧へもろに持ち込んでいる。宗匠の一茶調とも言いがたいが、江戸では食うや食わずの生活だったのだろう。「貧すれば鈍す」が一茶は鈍せず、五七五に昇華させた。ある意味立派。

前書は「年代未だ改まらず」で、改元すれば少しは暮しやすくなるかと期待もあるが、まだ元号はそのままで。一茶の愚痴は結局は世の中が悪いへ行き着くのか。

 

涼風の曲がりくねつて来たりけり 文化12年

「なかりけり」『来たりけり』と同じ形式にして、愚痴を詠嘆して憂さを晴らしている。

江戸住まいは、裏長屋の安い部屋だったろうから、大通りからくねくねと奥まったところまでやってくる風は、そこをくねくね曲がってきたのだなぁ。詠嘆の内容は「ご苦労様」と感謝があれば良いのだが、無さそうだ。文化12年1815年は化政文化のまっただ中で、元禄文化の華美でリッチな世界から、より庶民的な町人文化が花開いていた。一茶がこのタイミングで江戸に住まったのはラッキーだった。本人はほぼ無一文だが、裕福になりだした普通の人々が食わしてくれた。

 

夕涼や水投げつける馬の尻 文化11年

焼け付くような日の下で、馬も自分もよう働いた。一日の労働が終わる頃、家には打ち水などしているのだろうか。その水を馬にも「おつかれさま」と掛けてやるのだが、遊民一茶にはワカラナイ。大きな尻に目が行くだけで、むしろその尻を嫌っているようだ。一日中供に働いた農夫にある感謝の気持ちには反応せずに、結果的に「投げつける」の措辞となった。

 

稲妻やうつかりひよんとした貌へ 文化11年

「うっかりひよんとした貌かほ」は「気をとられてぽかんとしているさま」なので、稲妻は唐突に光ったのだろう。無警戒な顔だ。

夕顔にみとるるや身もうかりひよん 芭蕉

「うかりひよん」は「うつかりひよん」と同じ。

同じだが、一茶の句では「稲妻」の瞬間的な動きと「うつかりひよん」が対比的で面白い。もしかしたら、周囲の農作業に勤しむ人々の顔を「うつかりひよん」などと揶揄したのだろうか。一茶のひねくれ根性は営業上隠されてはいるだろうが、不意に現れてくる。

 

この年には

大水のくわらりと落ちて案山子かな 文化11年

突き放し感はあるけれど、一茶が農作業を題材として見つめる姿が想像できる。

「くわらりと」は擬音語で、がらがらとだろう。田んぼの水を抜くことを「落水」と言うが、稲刈りの約10日ほど前を目安とするらしい。なるほど案山子が必須アイテムとワカル。で、田んぼの水を抜く時、激しい音がするらしい。

 

(続く)