三菱一号館美術館の川瀬巴水 その13最終回

 

まずは訂正。

小倉柳村「浅草観音夜景 明治14年1881年」

夏痩や人形焼きはみな笑まふ あき坊

 

この画中の五重塔が仲見世から本堂に向かって右手にあるのはおかしいと考えて、そのように書いてしまったが誤りだった。

 

この浅草寺五重塔は本堂・雷門・宝蔵門と同じく、天慶5年942年武蔵守平公雅(きんまさ)によって建立されたが、その後焼失し、慶安元年1648年三代将軍徳川家光により再建された。この時から寛永寺・増上寺・天王寺の塔とで「江戸四塔」として人々に親しまれ、明治44年1911年には国宝指定を受けた。あの関東大震災にも耐えた。

この塔は浅草神社との間の広場辺りにあったのであろう。

防災の日よすいとんは祖母の味 あき坊

 

が、残念ながら昭和20年3月10日の戦災により焼失した。

https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=389342&pid=1891518

石段は浅草寺三月十日 あき坊

 

焼夷弾は人々の肌や衣服や、木造家屋や、あらゆるものにべったりとはりつくように、ゼリー状に作られていた。ひどいことをするものだ。化学兵器こそ使っていないようだが、それに匹敵する。

 

東京大空襲1945/03/10午前零時七分爆撃開始

死者数の十万超ゆる夜半の春 あき坊

 

探したら、昔の五重塔を広重も描き残していた。長い相輪もよくワカル。

初雪や雷門を憂き人と あき坊

 

現在(2026年05月14日)の塔は反対側にある。

外人のタンクトップや浅草寺 あき坊

 

三菱一号館美術館の川瀬巴水を終えるにあたって、書き散らした駄文を点検するうちに、この広重「名所江戸百景浅草金龍山」にぶち当たり、大反省したワケです。謹んで訂正いたします。

 

 

さて、三菱一号館美術館の館内はシックで居心地も良く、以前なら、商社マンが颯爽と上り下りしていたのでしょうか。

売り買いに人生懸ける梅雨の雷 あき坊

 

窓から見おろす庭もよく手入れされていて、次はこの庭のオシャレなレストランへ行きたい。

風薫るパティオに面したレストラン あき坊

 

この日は川瀬巴水らの新版画を目当てに伺ったのですが、様々な知らなかった世界に接して大興奮のまま、帰りは飲食に走りました。

 

前菜のコンソメのジュレ夏来たる あき坊

 

ゴールデンウィーク渋谷でまたワイン あき坊

 

連休最後は良き日となりました。あの日から2週間ほども過ぎて、ようやく興奮から覚めて参りました。

 

富士のごとくそびえるプリン夏隣 あき坊

 

 

(巴水終わり)