三菱一号館美術館の川瀬巴水 その12 吉田博

 

トワイライト、新版画

小林清親から川瀬巴水まで 三菱一号館美術館

 

吉田博1876~1950も渡邊庄三郎からの下絵依頼から、新版画制作にかかわることになった洋画家で、三度のアメリカ留学の後独立した。

 

吉田博は登山好きだったそうで、特に穂高山を愛し、大正15年生まれのご次男には「穂高」の名を与えている。

 

では、大正10年1921年制作の本図が木版の最初で、上高地から見上げる穂高が描かれている。実景よりも横幅を詰めて描かれているのか、山は険しい。

湖や長き影引く枯木立 あき坊

 

大正10年渡邊庄三郎の下で制作した三部作「朝日、日中、夕日」は、大正12年1923年の関東大震災で全ての版木と作品の大半が失われてしまったので、大正15年1926年の「瀬戸内海集」として、サイズを少し大きくして同類の「朝、夜、午前、午後、霧、夕」の6点が制作された。

 

焼失後に、吉田は大正12年~14年1923~1925年の3回目の渡米をしている。アメリカでの経験から、帰国後に渡邊庄三郎から独立したとされるが、作品や版木の焼亡事件も大きな理由の一つであったのではないか。

 

瀬戸内海集 図録から3点とネットから3点を「朝、午前、午後、夕、夜、霧」の順に並べる。

 

帆船 朝 吉田博 大正15年1926

日が出て水平線は茫漠として朝靄の中、出航前か。

朝焼に帆の赤々とたぎりけり あき坊

 

水平線の赤は消えやすいので、どちらも真作か。

鯖舟の荷揚げ済みけり昼の酒 あき坊

 

帆船 午後 吉田博 大正15年1926

午後の日差しはなく、僚船は消えた。海面に映る帆は白色を留めている。

海に映る帆の白々と虎が雨 あき坊

 

帆船 夕 吉田博 大正15年1926

漠然とした夕日に、凪のような静止感。僚船再び。

夕凪や漁籠(かご)の手入れのまたたく間 あき坊

 

夜の帳が下りた。水平線は後退している。

漁り火や海の男は三世代 あき坊

 

水平線は見えない。

霧の出て網を早めに引き上げむ あき坊

 

運良く焼亡を免れた「大正10年1921年 帆船 夕日 吉田博」

後方の帆柱は帆に隠れ、後方の喫水線は下がっている。新作では積み荷を軽くしたか。

夕焼や漁場へ急ぐ一人舟 あき坊

 

※夕日の舟でひと遊び      

1)テイストを変えて

 

2)紙を変えて

 

3)夕焼けまったり

 

 

(終わり-1)