三菱一号館美術館の川瀬巴水 その11 雨-2
展覧会には来ていなかったが、
お気に入りの巴水「相州前川の雨」昭和7年
五月雨も仕舞ひのはらりはらりかな 一茶
「五月雨も」の「も」は「さんざん降った五月雨も」の意味で、嫌われ者の「も」ではあるけれど、思い入れは深い。一茶のような遊民には五月雨はことさら鬱陶しかったのであろう。その五月雨の季節も終わるころ、雨脚も「はらりはらり」程度の穏やかなものになってきたと、素直に喜んでいる。
画中の雨は天から地まで厳しく降り続き、まだまだ梅雨の真っ最中なのだ。街道に立ち並ぶ家々に生活感はない。歩いている人物に冷たいので、きっとここには住まないよそ者なのだろう。そう思うと、傘も借り物のように見えてきた。
から傘に隠す泪や春しぐれ あき坊
高橋松亭1871~1945は、「新版画」を導き出す「新作版画」を生み出した人物である。幼少より日本画を学び、渡邊庄三郎が尚美堂を開業し浮世絵の複製版画を扱いながら、インバウンド向けに「新作版画」を刊行する際に、松亭に下絵を依頼した。この利益がやがて大正4年からの「新版画」を下支えするのである。
高橋松亭にしては不安定な構図で、斜めの坂に斜めの雨が降る。おぼろげに見える家のような橋のような、水面に映るような形だけがかろうじて水平を保っている。
絵的にもどこかでみたことのあるようだし、このころもしかしたら、松亭は渡邊庄三郎の依頼に対して、将来的な不安を抱えていたのではないか。
旅人の道に迷ひし野分かな あき坊
「東海道五十三次 庄野」広重 天保4年1833年頃
褌のやがて重たき白雨かな あき坊
松亭大正11年1922年制作の「都南八景馬込」では精神は安定しているようだ。
どっしりとした家々の下には豊かな畑が広がり、百姓が荷車を牛に引かせている。雨に煙る木か竹かの林は広重のようでもあるけれど、彼にとってはきっと学びの対象だったのだろう。
画面中央の赤は印象的だが、何かを商っているのだろうか。雨脚はやや太めで途切れずに降っている。初夏の間もなく上がる雨か。
夕立の耕してゆく畑かな あき坊
渡邊庄三郎に下絵を依頼されて新版画制作に入った洋画家には吉田博1876~1950もいる。大正12年に三度目の渡米をした際に、粗悪な浮世絵が高額で取引されているのを目の当たりにして、帰国後は自らが監修者となろうと渡邊庄三郎から独立し、職人を組織した。
東京拾二題 旧本丸 吉田博(昭和4年1929年)
骨太な線を使いながらも繊細に二人の女性を登場させる。一人は話しかけなどしたのだろうか、前を行く一人が軽く頷き、立ち止まることなく二人は何事か語り合い、納得しあっている。庶民のようだが、昭和4年から後10年間ほどの日本はとても豊かだった。経済的な動機の暴走が戦争を開始するのは今も同じで、歴史はひたすら繰り返す。
今の東御苑前に広がる空間に、長い影から長閑で豊かな午後が生まれている。しかし、やがて天皇陛下が白馬に跨がって登場するのはここか?
洋画家としての訓練を受けた人らしく、安定のデッサン力だ。
白足袋やそろそろ上がる秋の雨 あき坊
では川瀬巴水作品
骨太な印象だが、雨は世界を滲ませ、遠山の端までも丁寧に描かれている。この「塩原畑下り」は「塩原おかね路」「塩原しほがま」との三部作として大正7年1918年に発表され、出世作となった。
五月雨や崩れし山のまた崩れ あき坊
「五月雨ふる山王」大正8年1919年は東京十二題シリーズの一枚で、この絵も奇をてらわずな古典的な印象を受ける。描かれているのは大森山王日枝神社と思われるが、第一印象は残念ながら芝の増上寺だった。
背の子の童謡らしき走り梅雨 あき坊
大正9年制作の「三菱深川別邸之図 松の島の夜雨」には堂々たる風格がある。
淋しさは雨音が消す冬の湖 あき坊
今回の最後は伊東深水二点。「深水」は13歳で鏑木清方に弟子入りし、与えられた号である。清方は国芳門下の水野年方に入門しているので、その歌川派の直系ともいえる。深水は基本的には写真を使わず、現地へ出向いた。美人画の人と思っていたが、むしろ好きかも。
室町時代末期には「瀬田夕照せたのせきしょう」の常識が成立していたが、深水は夕日を雨中に置き換えた。リアリズムが写真の如くに写し取るだけなら絵を描く必要は無いワケで。
俳句の「写生」は、洋画家の中村不折と出会った正岡子規が言い出した。つまり「見たモノ」を「見たままに」描き出す手法である。これは今でも大はやりだが、無味乾燥な句が出来上がる。吟行に出ての、「野仏やあちらこちらに曼珠沙華」の類いである。しかし、それなら 白露や茨の刺にひとつづゝ 蕪村 はどうかと訊かれたらファン心理として「しびれる」と答えちゃいますけど、景が小さい。
川上へ棹さす人やさみだるる あき坊
三井寺は鬱蒼とした森の中にあるイメージなので、枝垂れる松の奥に、すっくと立つ観月舞台があるのはよくワカル。雨音だけが聞こえる静けさに、心が鎮まる。
風鐸の揺れて淋しき夕立かな あき坊
終わる予定だったけど、次回に吉田博を。
(続く)









