三菱一号館美術館の川瀬巴水 その5 雪の画の続

 

明治大正時代の夜は暗かったので、雪明りの夜道は題材としても魅力的に思える。

雪に暮るゝ寺島村

初雪やお座敷帰りの向島 あき坊

 

寺島町(てらじまちょう)は東京府南葛飾郡にあって、墨田区寺島町と地名は残っていたが、昭和39年1964年に向島や押上となった。東向島の白鬚神社は旧寺島村の鎮守である。この小さな川は曳舟川になるのかな?

 

歌川広重名所江戸百景「四ツ木通用水引ふね」向島から荒川を渡ると四つ木

夕立や引き舟いそぐ四ツ木橋 あき坊

 

画中、遠景の山は筑波山と思われる。ひき舟川の土手を歩きながら舟を引く人足達が描かれているが、高低差のない土地だし、江戸湾の潮の満ち引きにも影響を受けたろうから、船頭の数が足りずに、上りも下りもり徒の人手に頼っていたのだろう。

 

夕立と言えば、新版画を描いたFritz Capelariに続く二人目の外国人画家にCharles William Bartlett   と言う方がいらっしゃるそうで、この方の「神戸」と題された雨模様が、道に映る影を取り込んで印象深かった。浮世絵も新版画も、描かれるモノはきっちりと始末を付けられているのに対して、この画面下四半分ほどのあいまいに流れる世界が「より現代風」とでも言おうかとても面白い。遠景の大鳥居は官幣社湊川神社かとも思えるが、鳥居の奥に民家様の建物が有るので、違うかな。

秋雨や道路に光る人の影 あき坊

 

この異国の人は渡邊庄三郎の勧めで下絵の制作を始め、浮世絵の藍とは違う軽やかな青が特徴なそうな。彼の雪景色は知識の寄せ集めのような、手前の大木から景色が広がる浮世絵の典型のような、「根岸」

雪深し一本松の道標 あき坊

 

展覧会では、川瀬巴水「雪の白ひげ」を見たが、制作された大正9年1920年には白鬚橋は完成していたが有料だったせいか、渡船場「白鬚の渡し」の方が便利にされていたとか。その渡し場とすると、白鬚神社のある側から西岸を見ているのだろう。画は平明で好感は持てるが、その分焦点がはっきりしなくなっている。

客待の舟に積もれる雪一寸 あき坊

 

で、とりあえず舟を大きくしてみたけど、良い感じ。

 

尚美堂を開業し、浮世絵や複製版画を扱いだした渡邊庄三郎と協働して、「新版画」の前段階である「新作版画」の誕生に貢献した高橋松亭にも雪景色がある。

山茶花やゆるり近づく郵便夫 あき坊

 

市の倉は今の大田区矢口辺りらしいが、松亭はここに住んだそうで、画はご自宅だそうな。お住まいは高台で、田んぼが低地に広がり、実景だろう。

 

ネットから、参考のために。

軒下のおしめの凍る独居かな あき坊

 

次の森ヶ崎は大田区大森辺り、松亭は馬込なども描いている。画としては手前に大木を配して題材をその奥に置く古典的な構成で、新時代はまだ来ていない。

川涸るや船頭竈に火をおこし あき坊

 

伊東深水とは美人画の売れっ子と思っていたが、新版画を代表する絵師なのである。彼の風景版画「近江八景」を観て、川瀬巴水は「自分も版画をやる」と決心したそうだ。

その中の雪景色だが、現地に足を運んで自らの印象を画にするはずのところ、堅田には行くことができず、写真を用いた。

堅田浮御堂

降る雪や琵琶湖に古き浮御堂 あき坊

 

夭逝の画家井上安治(1864~1889)はお江戸浅草の出身で、月岡芳年と小林清親に師事した。芳年からは人物画を学び、清親の「光線画」の革新を継承した。26歳という若さで亡くなったが、脚気だったそうだ。

浅草蔵前通り

息白き馬の健気に車輌引く あき坊

 

すでに紹介した「鹿鳴館」は井上安治の作品である。

ネットで販売のポスターから

月冴ゆる窓おほきなる鹿鳴館 あき坊

 

 

(続く)