三菱一号館美術館の川瀬巴水 その3

 

新版画も西洋絵画の影響下にあるのだけれど、大好きなブリューゲルをちょっと見てみる。

 

「農民の結婚式」ではセレモニアスな気配の中で、ウキウキと開宴する村の婚礼が描かれるが、後方へ行くと参列者は小さくかつ曖昧に表現されて机の長さがワカル。給仕中の人間のエプロンには手を拭いた跡が残って臨場感を盛り上げている。客はまだ酔っていないようだが、立って酒を入れる革袋(sac à vinサッカヴァン)を抱えている人がソムリエ(sommelier)だろう。テーブルを外れてしゃがみ込んで何かを嘗めているのは子供だろうか。このように小さく描かれる人物は他でも登場する。

農民の結婚式

六月や婚礼開始のsac à vin あき坊

 

「農民の踊り」では、村の祭でお目当ての女性を運良く捕まえられた若者がはしゃぎ、女性は少しためらいの気持ちを抱えながらも引っ張られて行く。宴は盛りなので他の村人は二人には無関心で、でももしかしたら二人へエールを送っているのかも知れない。皆は心の中で「やったね」と思っているはず。

この二人の奥で酔った頬で踊る二人も間もなくどこぞへ去るだろう。そしてまた、主役の彼の視線の先のキスをする二人にも、村中が優しい。仮にお隣の奥様だとしても、祭の日にはお咎め無しだ。もしその夜に身籠もったら、その子は実子とする決まりがかつての日本にもあった。

で、この賑やかさと無縁の二人が手前に小さく登場する。子供ではなく下働きの人間らしく、この日はお世話掛りなのだろう。ブリューゲルは描き込む人間の大小を遠近的な感覚だけではなく、その役割で描き分けているようだ。

農民の踊り

輪を脱けて踊り浴衣のなまめかし あき坊

 

フェルメールになると、遠近法は露骨になる。

「兵士と笑う女」では偉そうな兵士は大きく背を見せている。彼を迎える女性は優しい微笑みだが、彼女はもしかしたらそれを商売とする女性かも。消失点は二人の真ん中にあるので、二人にある親密感も安定している。画面としての奥行き感がビミョウなのは、カメラオブスクラを使っているからだろう。

兵士と笑う女

荷風忌や後の世にては所帯持 あき坊

 

同じくフェルメールの「絵画芸術」ではカーテンが露骨にでかいので、人間の生の視線ではない。余計なことだが、フェルメールの絵にはいろんなモノが奥の壁に掛る。これがまた精緻に描かれるのだが、画家っていささか狂気に満ちた人間なのだろうといつも思う。

この「絵画芸術」と自ら題した絵を、フェルメールは生涯手放さなかったそうだ。小さ目に描き込まれた女性に意味があると思いたいが、後ろ向きの自画像とかもありかな。

絵画芸術

春の日や画家とモデルの仲なれど あき坊

 

カメラオブスクラは簡単な暗箱のようなもので、多分画家が確認する絵は反転しているだろうし、なにより奥行きが極端に詰まるのではないだろうか。

「ナポレオンの戴冠式」では、教皇に斟酌してナポレオンがジョセフィーヌに戴冠する場面が描かれるが、絵としては後方の来賓席に居並ぶ人々が前後的に詰まっている。この詰まり具合がカメラオブスクラの効果である。

ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠

なほざりの教皇凍るナポレオン あき坊

 

前書が長くなったが、

北斎「神奈川沖」絵では、巨大な波に翻弄される舟の遠くに富士山が見える安定の構図だが、これは浮世絵に入った遠近法よりは、むしろ三ツ割法である。

神奈川沖

夏来たる沖行く船の静かに遠し あき坊

 

広重「深川洲崎」では空中の鷹近くに視点を置き、そこから俯瞰する深川が描かれる。ようく見れば鷹の脚や爪の配置が異様だが、高空から見る世界はぼやけている。

深川洲崎

澪標深川飯をかき込みて あき坊 (みをつくし)

 

川瀬巴水には北斎のような極端なものは見られないが、「三菱深川別邸の図 洋館より庭園を望む」は比較的大胆な構図となっている。依頼主への配慮から採用したのであろう。ただ、角の柱3本と天井の関係が曖昧なところが気になる。

洋館の高天井や風薫る あき坊

 

巴水がいわゆる浮世絵よりもシンパシーを抱いていたらしい小林清親には、北斎的な冒険がしばしば見られる。

 

「江戸ばしより日本橋の景」では、くりからもんもんの漁師と思われる人物が、あるいは初鰹を売る魚屋が鋭い目つきでどこぞを見ている。その下の空間に江戸橋の袂からの日本橋が描かれている。遠くには名残の雪化粧の富士山。

待ちかてに魚屋へ出向く初がつを あき坊 (ととや)

 

「深かわ木場」では木遣りを歌いそうな川並鳶が河豚をぶら下げて立ち尽くし、雪の中で筏師の仕事を見ている。俯瞰している場所が深川木場だ。

望まれし河豚ぶら下げて見舞かな あき坊

 

展覧会場で撮影したものはやっぱり生々しい。足元の草に紛れ込ませた「小林清親」の文字も、気のせいかくっきりと目立つ。

唐傘に降り積む雪や木遣歌 あき坊

 

「両国の花火」も構図的には面白いが、粋な女のねっとり感が無いので、彼はそちら方面では淡泊な方だったようだ。女性を見ると浴衣の襟が落ち着かないし、この姿勢からは浴衣地の続く下半身が不安定だ。それに舟の幅が狭いし、夜空の花火も暗すぎるし、川面の照り返しのような白い光もよくワカラン。想像で描くと、いろんなモノがごちゃ混ぜになる、俳句といっしょ。

同伴の客となりたり花火舟 あき坊

 

本日の巴水は一点だけで終わってしまった。

 

(続く)