読売新聞に長谷川櫂氏が毎朝お書きになる「四季」と題されたコラムがあって、いつも楽しく読んでいる。知らないことも多いので、「勉強になる」が正しいかもしれない。

 

今朝は愛する蕪村の一句でした

夏山や京尽し飛鷺ひとつ(なつやまやきょうつくしとぶさぎひとつ)

が、蕪村全集から取り出されていた。

 

 

全く知らない句だった。中七「京尽し飛」が問題だ。

コラムの解説では「『尽くし飛』は飛んでいるところ」としている。言葉的に「飛び尽くす」との差を指摘したかったのだろう。しかし単に「飛んでいるところ」なら「尽し」は要らないのではないか。

 

私的には「京尽し飛」は「京尽し」と意味を捉えるべきで、「縦横無尽」の「尽」から察すれば、京の町を上から下へあるいは左京から右京へ、あるいはその全てを、である。

 

金閣寺

 

下京や雪積む上の夜の雨 凡兆だが経緯を考えると芭蕉も

この句が蕪村の心にあって、冬を夏に転じて「京尽し」となった気もする。

 

蕪村の飛ぶ光景を示す句に

ほとゝぎす平安城を筋違に 明和8

もあるが、このホトギスは京を斜めに飛び、去った。対して鷺は「京を尽して」飛んだ。

 

三条大橋

 

ただ、鷺は割と高い空を飛ぶが、旋回するところは見たことが無い。

実は蕪村は嘘つき(笑)で、読ませていただく者としては、その嘘が心地よいのでファンなのだけど。

※例えば

月天心貧しき町を通りけり 明和5 

卲康節(邵雍作?)「月天心ニ到ル処」古文前集 清夜吟

月到天心処 

風来水面時 

一般清意味 

料得少人知

月は夜空の真ん中に昇り、風が今まさに水面を過ぎて行く。こんなに清々しい世界を、巷では知らない人ばかりだなんて。

この漢詩を俳句に仕立て直した力はすごい。虚子以降「写生」だなんぞとややこしいことになったし、さらに言い訳がましく「主観写生」などと看板を掲げられては、素人たる吾は茫然自失状態。

 

伏見稲荷 貞信

 

では最後に蕪村の「夏山」を二句

夏山や通ひなれたる若狭人 安永5

行春を近江の人とおしみける  芭蕉 を念頭に置いたかどうかは不明だが、近江商人の言葉が示すタフな生き様に対して、蕪村は彼らの行脚への共感から句を成し、芭蕉は「春を惜しむとは意外な」と驚いて見せた。

 

夏山やうちかたぶいてろくろ引く 安永6

芭蕉にも『夏山』の句があり

夏山に足駄を拝む首途哉(かどでかな) 芭蕉 と。

奥州を目前にしてここまでの自らの健脚に感謝しつつ、これから先の夏草生い茂る険しい山道を無事にと祈っている。

蕪村の句意は不明だが、ろくろを引いているのは陶芸家で、その人は「うちかたぶく」と何か考え事でもしているのだろう。一心不乱に作陶するはずの人が、その最中に打ち悩む姿がおもしろいか。

 

北斎 夏山気分で

 

2026年こどもの日に