昨日、3年ほど診察を受けていた専門医から、もう一度検査したら近医でと解放された。とりあえず運気上昇中かも。

 

先日は、なんじゃかんじゃの情緒不安定を宥めようと、次男坊一家の住む札幌へ行った。前回の旅より体調は回復していると実感できる旅だった。

 

帰宅した翌朝新聞を広げたら、読売俳壇小沢實選に入選していた。

 

雪解水橋に砕けぬがうがうと あき坊

 

「がうがう」とは「嗷嗷または囂囂」と書き、「口やかましく言うさま」の形容動詞で、読みは「ゴウゴウ」である。「ごうごう」は「高鼾」が原義で「地鳴り」「潮騒」にも使う。

また、我が道楽のスキー場下の雪解けの水はまことに荒々しく、急な流れが川に集まって、市街地の橋の下を潜る。その川は、古い洗濯機を覗き込むと聞こえる音「ゴウゴウ」を響かせ、奔流は縦方向へ渦を巻き、恐ろしげでさえある。

 

雪解水は荒々しいのだが、それとまったく無関係なウザい小言を、同音で隠している。小言とは世界が私に投げかける運命、業のような、振りほどけない重みだ。

この音の二重性で遊ぼうとして結果を出せたのは、読み続けていた田捨女様が私に憑依して下さったお陰だな。

 

作品は、ありがたいことに小沢實氏が手を入れてくださった。それは彼の好みであるのだが、すなわち中七で切って下五で押さえ込むような、万葉集の短歌への回帰のような、品は良いが武骨な強さを氏は志向されているのだろう。

「砕けぬ」と切字できっちり言い切って、下五は別世界へ転じる。もちろん、この転換こそが俳句の真髄且つ醍醐味である。

 

以前には

コーヒーにミルクたつぷり春炬燵 あき坊

を小澤實選に採っていただいた。この句も同じ形式だ。

 

今回の読売俳壇小澤實選の一席は、

丸窓に遺影となりて卒業す 高槻市 村松謙 

であるが、これは句中には切れの見当たらない。俳句の形式としては小沢實好みではないが、内容が選者の心を捉えた。選者は同様の経験をお持ちなのではないだろうか。

 

退院や一歩づつ万緑に入る あき坊

嘗て術前化学療法、手術、術後再度の化学療法と半年近くの入院をしたが、ついに退院のドアを開けた瞬間の気分を俳句に詠い、正木ゆう子選の読売俳壇で一席になった。後で知ったが、選者も大病を経験されたらしく、「一」から「万」への広がりが退院気分にぴったりと褒めてくださった。

 

新聞俳壇への投句がほとんど採用されないのは当たり前だが、採用不採用に関しては予想以上に、選者の情緒や主張や経験や、それらをひっくるめて「好み」が働いている。例えば坪内稔典氏のカタカナ好きはよくわかるし、もし田捨女様が選者だったら出したい句もあるのだが、自作を何処へ持って行くかが大問題なのだ。

 

花吹雪生き物ゼロの博物館 あき坊

以前に坪内稔典選で一席になった。

 

そんなワケで気分良好が続いている。札幌では中島公園にたたずむバーンスタイン師にご挨拶してから、今回も景色の良い店で昼ご飯にした。

 

この和食の店の窓から見える景色は本当に素敵。季節毎に遠景も色を変えるが、北国の空はいつも重い。モーツァルトよりチャイコフスキーが肌に合うのだが、ここの空にはそのリズムがある。

 

食事は季節感溢れる季節の小鉢のいくつかと真薯の椀から始まり、メインはこの松花堂。

 

塩分コントロール中なので、中華やフレンチ・イタリアンは食べないとなると、鮨やら天ぷらやら薄味の和食ばかりを選ぶことになる。ワインを一滴も飲まない旅になった。

 

なので、最後の朝ご飯も和定食だったが、ドリンクバーに置かれていたアップルパイには感動した。北海道には珍しく甘みが抑えられていて、シナモン香も軽く、爽やかな朝になった。

 

中島公園の池では鴛鴦オシドリを見た。冬の季語だが、春遅き北国のオスはまだ色麗しい。この婚姻色が人類に無くてほっとしている。自分が色づいていたら、照れくさくて外を歩けないよ。

 

オスがメスからすーっと離れたりしていたが、メスの気を引くテクニックとしてはありがちで、時には有効なことが人類にもある。

しかし、メスから離れれば危険もある。ほら、他のオスが寄って来ちゃったじゃないか。

 

北国の湖は清みけり離れ鴛鴦 あき坊