田捨女 55)切字終了

【一物仕立て】-2

捨女自筆句集にある「切れ」のはっきりしない句

 

4)とこも鳴三かいむあんほとゝきす 夏 109

「さんかい」は「三界さんがい」で、仏教的には欲界・色界・無色界の三つの世界を言い、衆生が生死を繰り返しながら輪廻するとされている。

 

「三かいむあん」とは「三界無安」で、三界には安心がなく苦しみが多いことを言う。

テキストの捨女句集では、「無庵」と漢字書きして、「三界無庵とはどこにも住処を持たないこと」とするが、「三界に家なし」からの転用で、このテキストは時折この無茶をやる。

女は三界に家なし、鏡のみが己が家 近松の浄瑠璃。しかし、仏陀の教えからは遠い。

 

捨女は愛しき人との関係に悩み続けている、と俄ファンは信じている。

 

「鳴く」には「無く」が秘められているのではないか。「床も無く」とはストレートな。

 

仏教の言う四苦八苦の中に、「愛別離苦(あいべつりく)」がある。捨女は愛する人との別れを感じ、今まさに苦しみ悲しみの中に居るのだろう。

 

ほとぎす郭公には異名として「しでの田長たをさ」があるが、この「死出」には「田植えの忙殺にかり出される」意味があり、「田長」は田んぼの労働を仕切る人である。つまり、ホトトギスの鳴き声(トキを告げる声)を合図に、みなは田植えに泣く泣くかり出されたとか。

「死出」からは、ホトギスは冥土から来る鳥へと連想が広がり、信じられていた。しかし、捨女は「恋し鳥」などとも書いているし、「時の鳥」とも書いているので、あまり深刻ではなさそうで、彼女は権力の側の人間だったと容易に想像される。それにしても、やり場のない恋心は十分に伝わってくる。

 

https://www.youtube.com/watch?v=-JkKIJJMA-4

 

何処も鳴く三界無安ほとゝきす

 

5)夏の月にをひつく雲の足もなし 夏 128

「をひつく」も捨女流の表記で、本来は「をふ」と書いたら「終ふ」だ。句意からの表向きは「おふ追ふ」だが、捨女には伏せるべき「終ふ」との意識があるのかも。

 

「足」は「舟の進み具合」なども言うし、「足を限りに」と言えば「足の力の続く限り」なので、「雲の足も無し」は「雲の動きは遅い」と言いたいのだろう。そして、「あなたを訪ねる足もない」と。

この「も」は並列を示すのではなく、否定文中に於いてその否定を強める働きをしている。

あしひきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし 万葉集 十五 3723

狭野弟上娘子(さののおとがみのをとめ)が越前の国へ流罪になる中臣宅守を思って、「山路を越えて(流され)行くあなたが心配で心配で、落ち着いてはいられません」と。

同様に

君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも 狭野茅上娘子 3724

とも詠っている。

※この歌を、歌詞の一部に使ったことがある。

帰り行くあなたの道 繰り畳み、焼き滅ぼして ♪恋の炎

なのだがあ、作曲の方に「操りたたみ」と誤読されたまま仕上がってしまった。曲になった途端なので、歌は硬くて拙いけど。

https://youtu.be/vJTrTGg1uLo?si=xMwlPUfLWOw0EZ4Y

 

で、句意は、「夏の短夜、月もとっとと沈むのでなんとか引き留めたいが、雲が追いつけない程の早足である。」と、そして「私もこの夏は伺えません、秋になったら逢えるわね?」と嘆いている。


夏の月に追いつく雲の足も無し

 

 

夏の回文

今瑞な汝が仕出しかな夏見舞 

いまみつななかしたしかななつみまい 

※「仕出し」は「おめかし・おしゃれ」

 

散り始めた桜回文

楽市と楽座の桜土地いくら

らくいちとらくさのさくらとちいくら

※楽市楽座は信長などが営業の自由を保障した制度

 

(続く)