田捨女 51)
5)見あけても心つきなしさ月闇 夏 130
「心つきなし」とは、「心付きなし」形容詞で「面白みが無い」の意味。「月無し」と二重にして、「月闇」を呼んでいる。「さつき」の五月ではあるが、「さ」には人を誘う時に使われる「さぁ」もある。
句意は、「梅雨時の暗い夜空は、いくら見上げてもつまらん」と言うことだが、暗に「あなたがいなくて暗い夜だわ」と叫んでいるのではないかな。
テキストの捨女句集では「五月闇は木々の葉が生い茂った木下闇(このしたやみ)のこと」とあるが、五月闇は昼にも夜にも言うので、夜空と考えて不自然ではない。。
川瀬巴水
見上げても心付きなし五月闇
6)あふきよりなんほう涼しひらき窓 夏 131
「あふぎ」は「扇」で「あふぐ」が動詞で風を送ること。「逢ふ」を隠し味に。
「なんほう」は「なんぼう何ぼう」で、「なにほど」の転であり、「なんぼ」と略されることもある。「どれほど」「どんなに」と文字通りの意味もあるが、感動して言う言葉であり、「なんとまぁ」と訳せばしっくりくる。
テキスト捨女句集では「涼をとるのならば扇より開き窓のほうがより効果的である。それもいくつもの方角に(なんほうなんぼう何にも)作るのがよい。」などと解説しているが、「方角」は多分違うだろう。「なにほう」には「何坊」で「どこそこの僧坊(または僧)」を言いたいのだ。
句意は、「団扇で仰ぐより、窓を開けている方がなんぼも涼しいわ」+「どんだけぇ~」だが、「逢ふ」「僧」そして「涼し」は「気分が良い」だろう。「ひらき窓」の「開く」には「咲く」とか「幸運になる」の意味がある。捨女には逢いたい人が居る。
扇よりなんほう涼しひらき窓
7)紫のうへこすはなし顔よ花 夏 137
「顔佳花かほよばな」は「杜若かきつばた」の異名で、時には「美人」を言う。
十八、九なるかほよばな 曽根崎心中 近松
句意は、「杜若の(紫色の)花は源氏物語の紫の上を凌駕するほどのものではない」だが、紫の上は幼くして源氏と出会い、正妻が亡くなってから後妻に入ったワケだが、手続き的に正妻ではないまま添い遂げる。捨女にも添い遂げたい人がいたのだろう、もちろん夫ではない。
捨女は、18歳で父の後妻の連れ子又左衛門季成(すえなり)を婿養子として結婚した。代官の家を守るためだったろう。彼女は優秀な女性だったので、全てを頭で理解した上での結婚生活であった。そのような結婚も幸せの一つであった時代である。
若紫
紫の上越すはなし顔佳花
8)秋の色ハ水にもしるし紅葉ふな 秋 185
「紅葉鮒」は、晩秋に琵琶湖の源五郎鮒で、鰓が赤く色づいているものを言う。
鮒鮨
「しるし」は「著し」で「きわだっている・はっきりしている」の意味なので、「水」は琵琶湖の湖水である。二人はこの畔で逢瀬を重ねたか。あるいは1回きりだとしても。
句意は、「湖面に映る錦秋は際立っている。その赤さは源五郎鮒の鰓のようだわ」と。
秋の色は水にも著し紅葉鮒
9)降はうし雪にあとつく雨のあし 冬 213
言葉遊びとして面白い。
初雪や二字ふみ出だす下駄の跡 捨女
私たちに親しい「初雪や(または雪の朝)二の字二の字の下駄の跡」を捨女自身は書き残していない。
「憂し」と気を引いてから、「下駄の跡」の共通了解を前提に、「跡つく」「足」は「悪し」と仕上げた。
「つく」には「心を寄せる」意味があるので、慕情を句に潜れ込ませた、か。
句意は、「冬の雨はキライ。美しく積もっている雪に、雨ったら汚れた足跡を残して行くんですから」と雨を叱っている。晴れていれば、逢いに行けるのに、は読み過ぎか。
降るは憂し雪に跡つく雨の足
恋路回文
鳥交る少し嘴擦るカサリと
とりさかるすこしはしこするかさりと
※鳥だってキスくらいする
※※構造の面白い高難度回文俳句
(続く)





