田捨女 47)
【つ】完了の助動詞
月や空にいよけに見えつすたれこし 秋 170
「月や空に」の「や」は呼びかけの間投助詞で「月よ」として、「ゐる居る」の命令形である「いよ」で受けて、「月よ、空に在ってくださいな!」と、つまり「顔出して」と言いたいのだろう。
「けに」は「げに」「実に」で「現実に」の意味で、「見えつ」の「つ」には「ぬ」と違ってそれを言う人の意思が働いていることから、「本当に見えてしまったのよ」である。それも「簾越しに」と簾の掛った室内から、雲に隠れて見えないはずの月を見てしまったと騒いでいるワケだ。
テキストでは「『居よ気』とは文字通り『じっとしている』気配をいい、」ってホントかな?「伊予上浮穴(かあみうけな)郡に産する御器竹(ごきだけ)で編んだ『伊予簾』を掛けて」は、「いよけ」の言葉を折り込んだとみなすべきだろう。
さらに「簾越しの月見に興じての作」と書くが、「月見えぬ」ではなく「見えつ」であるから、この夜は月は出ていないと思いたい。
月や空に居よ実に見えつ簾越し
追加【や】
1) 花やちらむみゝもおとろくかせの音 春 66
前掲句と同類の「や」だが、「花やちらむ」の「む」推量となっている。この「や」は詠嘆ではなく係助詞で疑い気分を表すとして、「花は散るのだろうなぁ」の気分。
しかし、実際には見ていないなら「散るらむ」として、私ならその現場に居合わせていないことを強調したいが、捨女は「漠然とした推量」を選んだ。
花ちるらむみゝもおとろくかせの音
※
瀬の音や月夜に落つる鮎もあるらむ 子規
「や」で切る。「らむ」は切字としては働かない。
後ろより死は覗くらむ根深汁 河原枇杷男
「らむ」はしっかりと切字である。
「みゝもおとろく」は、「耳驚く」は「聞いて驚く」の自動詞で、「みなひとしく聞き驚き侍るは 源氏若菜」などと使われる。そこに「も」を割り込ませて「耳も」としているのは強意と思われるので、意味は「秋なら普通だが春の今の春風は桜に容赦がない」である。
しかし言葉として、例えば「鼻白む」を「鼻も白む」などと言うだろうか。音に驚くのは耳しか無いのだし。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行 古今集
捨女は古今和歌集も大好きなので、下敷きによく使う。この歌は晩夏から初秋のころで季節的にはズレているが、見えない風に「はっとしている」ところに共感したのだろう。
吉原の夜桜&捨女
花や散らむ耳も驚く風の音
2) なけやなけやいまはいつなん時の鳥 夏 105
この繰り返す「や」は感動詞の「や」で、「鳴けよ鳴けよ」と呼びかけを含みに、はやし立てている。
「いまはいつなん」は当然「いつ何ん時」と句跨がりに展開するワケだが、まずは「出づなむ」で「ん」は実現希望からの勧誘を表す係助詞で、「出てきませんか」と誘っている。そして、「時の鳥ほとぎす」は「いつ何ん時」鳴くか分からないから落ち着かないわ、と技巧に凝りすぎて目眩がする。
ホトギスは見るより聞くべき鳥だ
日本の野鳥識別図鑑
https://zukan.com/jbirds/internal15239
鳴けや鳴けや今はいつなん時の鳥
【に】
やよいのせく
よもきうの君のかひなに草の餅 春 47
「よもきう」つまり「蓬生」とは蓬などの雑草が生い茂った所を言い、いわば荒れ果てた所である。
前書の「弥生の節句」から「ひなまつり」、そして「ひな鄙」を想起させて「蓬生」を強調し、さらに「かひな」とダメ押ししている。形式に凝ル時は、人は何かを隠したいとしたものだ。
で、俳句は「辺鄙な所にお住まいのあなた」と詠いだしているが、彼が住む鄙辺を暗示するために、この前書「弥生の節句」つまり「ひなまつり」が必要だった。
捨女は「君」と「尊敬」の心を込めて恋する人を示しているが、相手は坊さんか?亡くなった夫とは一緒に暮らしていたんだし。
よもきうの君のかひなや草の餅 と、「に」よりも「や」を使えば景がくっきりして俳諧的とも思えるけど、きっと自分を抱きしめた彼の腕を思い出していたから、詠嘆して突き放す気分にはなれなかった。
それに切字が入ると、「(よもきうに住まう)君のかひな」はごっつい農民の腕に思われてしまいそうと、彼女は考えたか。
よもきうの君のかひなに草の餅
草餅
蓬生の君の腕に草の餅
蓬尽くし回文
地物作のど飴後の草の餅
ちものさくのとあめあとのくさのもち
※検索したが、「蓬のど飴」が見つからなかった
お口直し;句会浄土回文
自堕落さ詠み手来てみよ桜だし
したらくさよみてきてみよさくらたし
※雑然としてますが、桜だし来ないか?
(続く)




