田捨女 35) 【かな】 冬
1)月のかつら冬かれさする時雨かな 冬 205
「月のかつら」は、中国の神話で月に生えているという高さ五百丈(約1500m)に達する巨大な桂の木。月桂げつけいとも呼ぶ。
ひさかたの月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ 壬生忠岑 古今和歌集
月に生えているという桂の木も、秋にはやはり地上の木のように紅葉するので、それが照り映えるために秋の月は(他の季節よりも)いちだんと明るく照るのだろうか。
「桂男」となると、同じく中国の神話の「月の架空の住人」なので、転じて「桂男」は「美男」を意味する慣用句となった。
捨女が「月のかつら」と言えば、恋しい美男が隠されているとして間違いない、思ひ人だろう。
「冬枯れ」は冬に草木の枯れることだが、
冬枯れの野辺とわが身を思ひせばもえても春を待たましものを 伊勢 古今集
もわが身を冬枯れの野原と思えたなら、野火として燃えて(恋に身を焦がしながら)春を待つでしょうに。「でも野火で復活する野原とは違う私は、春に萌え出すような新しい恋はできません」と、「まし」が効いている。伊勢は情熱家なので捨女はお気に入りだった気がする。
月の桂冬枯さする時雨かな
2)季吟より「あかし入道もおよぶまじき」とて、ほうびありしひよみのしきしにほっ句このまれしに
月のうさきかつら男のすがたかな 冬 235
捨女句集和泉書院の編著者らは「月の兎」の「兎」を季題として冬と分類したようだが、「兎」の本意を考えるといささか弱い。ここでも「月の兎」として秋に分類すべきだろう。編著者らは「冬の部の末尾(242句中の9句)には他の季節の句が含まれている」と凡例に書いているが、この句を含めて9句もが何故「冬」に押し込まれたかの説明はない。
捨女は北村季吟、宮川松堅らに和歌や俳諧を学んだ。
捨女 | 兵庫ゆかりの作家 | ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館
テキストに使用している捨女句集和泉書院には、加藤定彦氏が捨女の俳歴をたどりつつ「《捨女》像の虚実」を書かれている。以下に一部抜粋
「ステは豊かな古典の素養を基に、言語遊戯によって笑いを狙う典型的な貞門風の作者であった。北村季吟、湖春父子の俳諧撰集に多数が入集、主要俳人の連句を収める重徳編『俳諧独吟集』寛文六年1666年にも独吟歌仙が入集し、天下に名声を博した。」とあり、季吟に師事しながら一流の俳諧師となったようだ。女流俳句の始祖である。
女流俳句とは妙な区分けだが、「俳句大観」明治書院所収の宗祇(室町時代後期の連歌師)によると、天保期(明治直前)までの173人の俳人のうち女性は9人、5%だとか。男性には富裕な商人が多いが、女性は尼や遊女などと、ドロップアウトとは言わないまでも、社会の構成員の外側に生きる人が多かった。捨女は真っ当な奥様だったが、落飾後は何故か俳諧を離れて和歌に没頭した気配がある、よくはワカリマセンが。
田捨女 中七「二の字二の字の」とはなっていない。
で、前書は、北村季吟から褒美として十二支の色紙を送られ、それにちなんだ句を求められたとある。「日読み」とは暦を指すことも多いが、十二支の異称でもある。「日読みの午」とは、漢字「午」を同訓の「馬」と区別するために使われる。
明石入道は『源氏物語』に登場する人物で、一人娘(明石の御方)は源氏を籠絡して身ごもるのだが、彼女の知的な面と生き様に惹かれたのだろうか。
捨女の何が「あかし入道も及ぶまじき」だったのか、ワカラナイ。むしろ、娘のインテリジェンスに劣らない程の、とすればワカリ易い。
明石
で、この句は十二支の「卯」の色紙に書いたらしいが、句意は「月の中の兎を見ていると、いつの間にか、絶世の美男と伝わるその桂男の姿になる」と、つまり捨女(の本心)は月を見ても恋しい人の姿と重なってしまう。恋にはそんな時期が必要だ。
もうすっかり捨女ファンなので、伊勢に負けない彼女の情熱に、勝手に、圧倒されている。その味わいが無いなら、駄句ナリ。
月の兎桂男の姿かな
※「憂さき」かも
回文
杉の戸に落書き神楽二兎の疵
すきのとにらくかきかくらにとのきす
※我が町の調神社
(続く)



