田捨女 33) 【かな】 秋
1)まとろまてねかへしにうつ衣かな 秋 189
「かな」の直前にある「うつ衣」がこの句の核心である。
捨女は48歳の天和元年1681年に落飾して「妙融」と名乗ったので、「衣」は法衣かもしれない。
中宮定子落飾(NHK)、しかし連れ戻され、三年後に一条天皇の第一皇子敦康親王を産んだ。
「うつ」は「打つ」だが、「鬱」と気分が晴れない様の想定が第一感で、「うつつ」からの「生身」をも思い浮かんだ。正しければ、仏門に帰依しつつの「生身」の「鬱」は迫力がある。
で、問題の「ねかへしに」だが、「ね」はとりあえず「寝」とするが、「寝」は「睡」と同音で「い」である。自動詞「寝」はナ行二段活用なので、「ね」と読めば未然形か連用形である。「寝かへる」は「寝返る」で寝ながら体の向きを変えることなのだが、「寝返し」は普通は無い。名詞「返し」はひっくり返す意味の「返す」他動詞の連用形が名詞化した言葉で「寝返しに」なら寝返りする時に、となる。ただ「返す」は自動詞のように用いることもあって、その際は意味が「もどる、引き返す」となる。インテリもどきの旦那芸のような貞門流の捨女なので、縒りを戻したいとかの気持ちがあったのか。
それより寧ろ「かへし」が「返事」を指すこともあるので、来ぬ人へ「お手紙を書いたんだから、お返事頂戴よ」のような気持ちかな。
テキストでは、「一人寝であろうか。眠りにつけぬまま、何度も寝返りを打つ。『衣うつ』は本来は『砧を打つ』ことの意味であるが、この句の場合はむしろ寝返りをうつ方に主眼がある。」と注釈が付けられている。的外れではないにしても、すっきりしない。
み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣打つなり 雅経 百人一首
寒々と「衣打つ」音が聞こえるのだから、これは「砧打つ」が一般的らしい。
そこで編著者らもそこではなく、「寝返りをうつ方に」と指示を出している。しかし、まだ不足だ。
寝返りを打つ度に、裾の乱れを強く整えている捨女の「火照りとともに湧き上がる思い」を想像しなければ鑑賞にはならない。ざっくり言えば、一人寝の不遇を嘆いているのだから。
※「しらぬ人の中にうち臥して、つゆまどろまれず 更科日記」を捨女は読んでいるだろうから、捨女の「まどろまで」も旅先の旅籠とか、お寺で修行中とか、かもしれない。
更科日記定家写本
「ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど……祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ処に移る。……」
微睡まで寝返しに打つ衣かな
https://uqtakashi.com/%e3%81%82%e3%81%93%e3%81%8c%e3%82%8c/
2)ミよし野にかへかたい秋の花野哉 秋 196
「かへかたい」は「換ふ」に接尾語の「難し」が付いた「換へ難し」の連体形「換え難き」のイ音便。
意味は「換えることが難しい」となるので、句意は「秋の花野がみ吉野に取って代わるのは無理だ」か?「秋の花野」を褒めたいはずなのだが。
贔屓目に読めば、反語のようでもあるが、面倒な言い回しだ。
平安時代は秋の草花、秋の虫などの名所は嵯峨野だった。
里はあれて人はふりにしやどなれや庭もまがきも秋の野らなる 僧正遍昭
「庭に秋の野を作りて」という詞書から「咲き乱れた花野の様子を庭に生かした様」であり、「庭もまがきも秋の野ら」つまり「秋の野原」こそが客へのもてなしだった。
だからやはり、庭に設えたいほどの「秋」を「吉野に換えがたい」などと言うのはやはり不思議。捨女は何を言いたいのだろう。「ミ」が手がかりになりそうだがワカラン。
テキスト『吉野に代えがたい花野という文脈は、やはり吉野の優位を念頭に置く。しかし、今、目の前にする秋の花野をどうして春の吉野に代えることができようか。反語の文脈でもある』って誤訳に近いが、結局どうなっているのだ?
花野
お口直しの花野
少し後の千代女になると
蝶々の身の上しらぬ花野かな 千代女
古典の屁理屈から離れて、素直な句になっている。
もう少し後の一茶
今までは踏まれていたに花野かな 一茶
一茶らしいね。ひねくれモンが、斜に構えて。
み吉野
み吉野に換え難い秋の花野哉
捨女自筆句集には「二の字」の句は見当たらないが、回文
み吉野に桜開くさ二の字詠み
みよしのにさくらひらくさにのしよみ
(続く)




