田捨女28) 【かな】 夏
1)あやめのせく
ちまきとは三をもてふのたくひ哉 夏 118
どうしても意味がワカラナイので、勝手に解釈する。
「ふ」は「ぬ」の誤読である(と思う)。書かれた文字が不確かなのと、粽麩からの「麩」と思い込まされたのではないか?
ちまきとは三をもてぬのたくひ哉
「三」が殊更にワケワカランのだが、枕草子長保2年5月5日三条宮での端午の節句の記事に
ませ越しに麦はむ駒のはつはつに及ばぬ恋も我はするかな 清少納言
の歌があり、「はつはつに」は「わずかに」で、ここが第三句である。歌の意味は、お逢いすることもままならない恋をしている、と。
中宮定子の返しに
みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける
「君ぞ知りける」は「(私の心を)あなただけは」承知してくださっていたのですね、と。
前書に「あやめのせく」とわざわざ書いたのは、この「粽」が別物であることを暗示するためではなかったか、と推理小説並みに想像して。
その上で、「も」は「ま」の気もするが、まずは正しいとして、「持つ」を「心に抱く」と解すれば、意味は通じる。
「逢いたくてもなかなか逢えないのは、そしてあなたは私の気持ちを知っているのに逢いに来ないのは、私が厄除け粽のような飾っておくだけの代物だからだわ。」
ってことで、どうなんだろ?
それなら「あやめのせく」の「せく」は「塞く」で、なにか遮り隔てる事情があるのではないか。「あやめ」は「文目」で、物事の道理あるいは筋道である。
テキストにしている捨女句集の編著者らは、
『前書き「あやめの節句」とは端午の節句のこと。粽を供えて食す日。粽三つを色糸で巻いて束ねる粽をいうのであろうか。もしくは、糖粽(あめちまき)に「蜜」「蝶」の語をかけた句作りか。』
と書き残しているが、迷走している。
※柏餅には二つ折りにした布団にくるまって寝る意味があるように、粽にも何か隠語めいた使い方があったのかも。
柏餅
粽とは三を持てぬの類かな
2)つるにつきてとりうる金まくは哉 夏 120
「金」に関する「つる」は「藪紫の蔓」で、この植物は時には金を60ppm以上も蓄積する特性があり、金の指標植物とされている。いわゆる金鉱化指示植物なのだ。古代の「国見」は銅鉱床を探ったのだが、あるいは大昔から金(こがね)の探索にツルクサを用いたのかも。
ヤブムラサキ
今日的な感覚ではこれも分かりにくい句だが、捨女はきっと真桑瓜をじっと見ているのだろう。そこで気づいたのは、ヤブムラサキには金が生る程度の聞きかじり知識からの瓜の黄色に新味を感じた。その黄色を金とした。
真桑瓜;子供の頃よく食べた
蔓に付きて採り得る金真桑瓜哉
「つる」回文
中洲にて引く鶴尽く日テニスかな
なかすにてひくつるつくひてにすかな
※ご当地もの。某所でおネェ言葉を使ったら彼の目がギラついたので、翌日の太陽の下でのテニスに誘い、肌寒さの中に事なきを得た。彼はスコートを?ってそりゃなかった。
(続く)




